井上登の80代人生論 ~ 仕事・地域・家庭・個人、4つのバランス人生:歌舞伎/能/狂言/文楽
2023-10-16T08:22:08+09:00
drss0123noborui
ライフワーク『ライフ・マネジメント・システム(LMS)』 履歴【井上ISOコンサルティング、JQA/ISO審査員、NACS代議員、青葉LC、行政環境審議委員、製品安全協会(SGマーク)マニュアル委員、大道芸ワールドカップ審査委員、シルバー・サポーター 趣味【ロックアート(石芸)、講談、俳句】取材/講演等のご依頼などは、drss0123noborui@ybb.ne.jp までお願いします。
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コーヒーシリーズ 『セラミック・コーヒー・フィルター』
http://drss.exblog.jp/33004816/
2023-03-02T05:04:00+09:00
2023-03-02T07:58:23+09:00
2023-03-02T05:04:37+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
有田焼。
ペーパーフィルターや布フィルター不要。
雑味がとれ、円やかになる。
使用で目ずまりするので流水や歯ブラシ等で洗浄し熱湯を通すこととの注意書き。
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能シリーズ 歴史秘話ヒストリア『世阿弥』
http://drss.exblog.jp/29779788/
2019-11-21T18:26:00+09:00
2019-11-22T11:11:26+09:00
2019-11-21T18:26:55+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
観阿弥の息子の世阿弥は実子がなく後継者に弟の息子を養子にするも、豊臣秀吉同様、後に実子が生まれる。
だが世阿弥の実子は32歳で亡くなり、養子が後を継ぐ。
しかし応仁の乱で能が廃れ、家康が復興する。
能楽の始祖「観阿弥」は駿府の今川家に招かれ当社の大前に能を奉納し、その後駿府において没した。
観阿弥最後の舞台として静岡浅間神社は知られており、楼門脇には観阿弥の碑がある。
この碑文には観阿弥の浅間神社での演能が花やかだったので皆から賞賛された、という文意の世阿弥(観阿弥の息子)の文が彫り込まれている。(静岡浅間神社HPより転載)
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神楽シリーズ 静岡浅間神社『大神楽祭』
http://drss.exblog.jp/28160593/
2018-02-26T09:09:00+09:00
2018-02-28T08:37:05+09:00
2018-02-26T09:09:19+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
『神楽(かぐら)』と『雅楽(がらく)』の違いが分からなかった。
『神楽』は祭りの場に神を招いて奉納することで邪気を払うとされる伝統芸能。
一方『雅楽』は、神社音楽ではなく、土着的な神楽とは異なり、古代に中国や朝鮮半島・ベトナムあたりから入ってきた音楽をもとに編成された「宮廷儀礼音楽」
同市内の安倍川、大井川、瀬戸川の各流域に伝わる駿河神楽は、平成23年度現在で56カ所の伝承地が確認されており、そのうち30カ所では地元の祭礼などで実際に奉納されている。
28年度に続いて2回目の開催となる大神楽祭は、地域に長年伝わる伝統芸能を披露することで、担い手不足解消への起爆剤にすることが目的。
今回は神楽や木(き)遣(や)りといった伝統芸能を継承する6団体が参加し、多くの観覧者の前で地元に長く伝えられてきた舞や歌を披露した。
市文化財課では「大神楽祭が、各地の伝統芸能の担い手たちがネットワークを結ぶきっかけになれば」と期待していた。
観賞した友人にお願いし雅楽の画像が送信され、雅楽の様子を垣間見た。
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愛知県中村シリーズ 中村公園で『中村勘三郎生誕像』を見る
http://drss.exblog.jp/26924441/
2017-06-14T08:55:00+09:00
2017-06-14T14:23:47+09:00
2017-06-14T08:55:55+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
名古屋城や熱田神宮等、信長・秀吉・家康の三英傑の縁の地を訪ねる。
史跡に触れ、実際に歩き講談の演目への理解を深める。
名古屋城で『名古屋平成中村座』公演の看板を見つける。
大きなテントを作り期間限定の公演。
中村勘人九郎、中村七之助等が出演。
中村公園には中村勘三郎の生誕像がある。
『中村』の名前はここの中村区に因んでいるようだ。
朝日新聞によれば初代は江戸時代初期の歌舞伎役者。
出自には諸説あるが、江戸後期の随筆「甲子夜話(かっしやわ)」に、現在の中村区のあたりが生誕地との記述がある。
生誕像は地元有志らが寄付を募って建て、名古屋市に寄贈した。
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愛知県名古屋シリーズ 女義太夫 豊竹 呂昇(とよたけ ろしょう)のお墓に参る
http://drss.exblog.jp/26922311/
2017-06-13T08:32:00+09:00
2021-01-24T11:59:42+09:00
2017-06-13T08:32:17+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
小生も参加し恥ずかしながら『男の花道』を演じる。
光音寺の墓地には豊竹 呂昇のお墓があり、お参りさせていただく。
田辺鶴遊師匠から教わらなければ一生知らずのままだった。
豊竹 呂昇は、女義太夫師。
明治から大正にかけて女義太夫の頂点にいたという。
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朗読シリーズ 平和を願う朗読会 『未来への手紙』
http://drss.exblog.jp/24819280/
2015-08-24T05:45:00+09:00
2015-08-25T07:20:29+09:00
2015-08-24T05:45:48+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
戦争体験者の語りや、特に特攻兵(20代前半)の出撃前日の両親への別れの手紙(言葉)は切ない。
母への労わりの思いは強く聴く者の胸が痛む。
安倍首相が進める安保関連法案成立を目指し、その結果日本のリスクが高まり、戦後70年で方向転換する。
そんな折、平和への祈念は時宜をえた企画。
二度と『神の国』にさせてはならない。
『神風』が吹くなどと戯言を言わせてはならない。
国家に洗脳された若者に『天皇陛下万歳』と言って死なせてはならない。
初めて朗読会を見たが一人ひとりのメッセージに訴えるものがあった。
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静岡県静岡シリーズ 観世流能楽師 山階彌右衛門(やましな やえもん)氏の『観世家能楽講座』
http://drss.exblog.jp/24680626/
2015-07-12T07:08:00+09:00
2020-03-18T05:24:10+09:00
2015-07-12T07:08:40+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
今までに能楽、歌舞伎、人形浄瑠璃、落語、講談等和芸を観賞。
グランシップ静岡で連続講座『静岡×徳川時代』シリーズで観世流能楽師 山階彌右衛門(やましな やえもん)氏による『能と静岡 徳川家と能楽 観世家』に出かける。
朝日新聞によれば能楽観世流宗家の観世清和の弟・芳宏が、十二世山階彌右衛門(やましな・やえもん)を襲名する披露能が2007年、東京・観世能楽堂で開かれた。
十一世山階信弘が17年前に死去し、空白が続いていた。
山階家のルーツは、室町時代に世阿弥の父観阿弥と並ぶ名人道阿弥を生んだ近江猿楽。
観世流高弟であり、当主彌右衛門の名は200年ぶりの復活になる。
山階彌右衛門(やましな やえもん)氏は「これまで家元の弟として、比較的自由にやってきたが、今回は大きな名前を頂き、家の芸を継ぐ責任を痛感する」と語る。
分かりやすい解説で能楽の裾野を広めようとする意欲を感じる。
知らないものでも愉しめた。
祝言小謡『たかさご』を指導のもと観客全員で詠う。
能楽が徳川家の正月行事に欠かせなかったと聞く。
大名列席の正月行事で能を舞い、終わると大名達は裃を舞台に投げるという。
又武家社会の摺り足や『ちこう寄れ』の作法なども能から定着したという。
徳川家が能楽と密切な関係があったことを知る。
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京都府京都シリーズ 京都定期観光バス『舞妓はんと鷹が峰しょうざん庭園』
http://drss.exblog.jp/21606906/
2013-12-08T18:17:00+09:00
2013-12-09T10:20:29+09:00
2013-12-08T18:18:09+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
京都定期観光バスコースは『舞妓はんと鷹が峰しょうざん庭園』
舞妓はんの舞と食事でリーズナブルに愉しめるコース。
舞妓はんは宮川町の小梅さん。
祇園小唄などを舞ってくれる。
12月のかんざしはミニのまねき看板。
京都南座の吉例顔見世興行で出演している市川中車さんの楽屋を訪ね書いていただいたとのこと。
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兵庫県淡路島シリーズ 国指定重要無形民俗文化財の淡路人形浄瑠璃を観賞
http://drss.exblog.jp/20229149/
2013-04-01T08:14:00+09:00
2013-11-11T05:00:16+09:00
2013-04-01T08:14:47+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
五百年の歴史を誇り、国指定重要無形民俗文化財でもある淡路人形浄瑠璃の由来は、鎌倉時代、淡路島に大阪四天王寺より舞楽など神事を生業とする楽人が移り住み、その後西宮の戎神社に属したエビスカキから人形操りの人気が高かったため神事を人形操りで行うようになったと考えられています。
漁の安全と恵みを祈るものとして、また、家、土地、船を守り、神を讃える神聖な季節の行事として定着し、昭和初期までは、門付けの三番叟や戎舞が淡路の各家を回り神棚の前で幸せを祈る。
最盛期の18世紀初めには40以上の座本が覇を競い、人形役者が千人もおり淡路島のみならず日本全国を巡業し、各地に人形芝居を伝える。
淡路人形は文楽と異なり野掛け舞台だったため大きな人形、大きな動作となり、時代物を得意とし、早替りや道具返し、衣装山など淡路独特の演出や演技も派手でケレン味が尊ばれ、気軽に楽しめるという。
人形の顔の大きさはやや大きめで、人形遣いは三人だが顔を出さない。
演目は『傾城阿波の鳴門 順礼歌の段』で『ととさんの名は十郎兵衛、かかさんはお弓と申します・・』という順礼の娘お鶴のセリフで知られている。
浄瑠璃で奏でる義太夫の語りが臨場感あふれ物悲しさが一層募る。
淡路人形の発展では浄瑠璃の人間国宝 鶴沢 友路師匠が知られている。
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読書シリーズ 旅の友2月号 『歌舞伎のいろは』
http://drss.exblog.jp/20154859/
2013-03-15T10:52:00+09:00
2013-11-07T06:38:37+09:00
2013-03-15T10:52:52+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
徳川家康が江戸幕府を開かれたころ、京の都で女性一座による『出雲の阿国(おこく)』等によって歌舞伎の原形が起こる。
だが風紀を乱すとして禁止され、男性による若衆歌舞伎に変遷し、今日の歌舞伎に至る。
現在はユネスコの無形文化遺産に登録。
歌舞伎が見られる劇場は東京の歌舞伎座、名古屋の御園座、京都の南座、香川の金丸座などがある。
下の写真は御園座の三河大歌舞伎の看板。
最近、知人の宮大工さんが金丸座の修理に携わったとのことで身近に感じる。
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近松門左衛門作『俊寛 鬼界ヶ島の場』を観賞
http://drss.exblog.jp/18495395/
2012-06-26T17:29:00+09:00
2012-07-03T10:56:01+09:00
2012-06-26T17:29:04+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
近松門左衛門作『俊寛 鬼界ヶ島の場』で平家物語で知られる。
近松門左衛門は鬼界ヶ島に一人残される俊寛の無念は平家物語と同じだがフィクションを加えている。
俊寛は後白河法皇の側近で法勝寺執行の地位にあった。
安元3年(1177年)、藤原成親・西光らの平清盛一派打倒の陰謀に加わって鹿ヶ谷の俊寛の山荘で密議が行われた。
だが、密告により陰謀は露見し、俊寛は藤原成経・平康頼と共に鬼界ヶ島(薩摩国)へ配流された。
世にいう鹿ケ谷事件。
『平家物語』によると、鬼界ヶ島に流された後の俊寛ら三人は望郷の日々を過ごし、成経と康頼は千本の卒塔婆を作り海に流すことを発心するが、俊寛はこれに加わらなかった。
やがて、一本の卒塔婆が安芸国厳島に流れ着く。
これに心を打たれた平清盛は、高倉天皇の中宮となっている娘の徳子の安産祈願の恩赦を行う。
翌治承2年(1178年)に船が鬼界ヶ島にやって来るが成経と康頼のみが赦される。
俊寛は謀議の張本人という理由から赦されず島に一人とり残された。
俊寛は絶望して悲嘆に暮れる。
翌治承3年(1179年)、俊寛の侍童だった有王が鬼界ヶ島を訪れ、変わり果てた姿の俊寛と再会した。
有王から娘の手紙を受け取った俊寛は死を決意して、食を断ち自害した。
有王は鬼界ヶ島より俊寛の灰骨を京へ持ち帰ったという。(ウイッキペディアより転載)
俊寛僧都は中村橋之助が演じる。
俊寛が一人残され、だんだん小さくなる赦免された二人を乗せた赦免舟に叫びながら嘆く俊寛の姿に、今も通ずる人の哀れを感じる。
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浄瑠璃シリーズ 『人形浄瑠璃太夫の豊竹咲大夫さんを知る』
http://drss.exblog.jp/17517726/
2012-01-02T11:31:00+09:00
2021-05-08T07:31:22+09:00
2012-01-02T11:19:45+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
昨年、国立小劇場で『ひらかな盛衰記・逆櫓』が演じられ豊竹咲大夫さんの感情豊かな語りを聴いたことがある。
初めての文楽で語りが充分理解できなかったが、舞台の臨場感が伝わった。
人形浄瑠璃のことを文楽ということを知る。
1595年ごろ文楽が成立。
1603年頃阿国歌舞伎が興る。
このころ徳川家康が江戸幕府を開く。
エリザベス一世没
1616年 シェイクスピア没
時代物から世話物まで幅広く、浄瑠璃を読み込んだ精緻で技巧に富んだ語りは芸術的に高く評価され受賞。
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能面を見る
http://drss.exblog.jp/16499258/
2011-10-26T06:46:55+09:00
2011-10-26T06:36:26+09:00
2011-10-26T06:36:26+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
知らなかった世界を知り、趣味のミニチュア日本庭園の造形につなげるヒントにする。
県立美術館でやっている能面の展示会を愉しむ。
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三保の松原で狂言『萩大名』を観る
http://drss.exblog.jp/16410828/
2011-10-09T08:22:00+09:00
2011-10-09T08:24:37+09:00
2011-10-09T08:12:15+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
一度は日本人として古典芸能である歌舞伎、能、文楽、狂言を見たいと思っていたが念願かなう。
三保の松原で能と狂言があり鑑賞する。
狂言は能と能の間に演じられると聞く。
能は分りにくいが狂言はユーモアがあり、少しは理解できる。
萩大名を演じるのは野村萬斎さん。
演目の『萩大名』は京での長い訴訟を終えた遠国(おんごく)[地方]の大名が気晴らしに、太郎冠者に案内させ、清水寺に参詣しがてら茶屋で萩見物をする。
ところが茶屋では萩の花を詠み込んだ歌を作る慣例があると聞いて、歌を詠んだことがない大名はいやがります。そこで冠者は「七重八重九重とこそ思ひしに十重咲き出ずる萩の花かな」という歌を大名に教え、7、8、9などの数字を扇の骨で示し、「萩の花」では自分のすねはぎ[足のすね]を見せるなど、歌を思い出させるヒントを出す。
ところが大名は、茶屋の亭主にとんちんかんなことばかり言い、たまりかねた冠者は先に帰る。
残された大名は、歌の最後の七文字を思い出せず苦しまぎれに「太郎冠者の向こうずね」と口走り、恥をかくというストーリー。
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能シリーズ 三保の松原で薪能『羽衣』観賞
http://drss.exblog.jp/16410767/
2011-10-09T08:01:00+09:00
2023-10-16T08:22:08+09:00
2011-10-09T07:51:00+09:00
drss0123noborui
歌舞伎/能/狂言/文楽
三保の松原で薪能『羽衣』があり、薪の明かりに照らされた松原の海を正面にした舞台で幽玄な世界を体感した。
天から天女が舞い降り、羽衣を松の小枝に掛け寛いでいるところ、村人にとられ返してもらわなければ天に帰れないと訴えたが、国の宝にすると聞き入れられず、必死に懇願し戻してもらう。
そのお礼に天女の舞を披露し、無事に天に舞い戻るというストーリー。
舞の動きが小さく、そこから天女の喜怒哀楽を汲み取るのは至難。
死が身近だった武家社会では能を舞い心を鎮め覚悟を確かめる。
『薪能 三保の松原 天に舞う』
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