井上登の80代人生論 ~ 仕事・地域・家庭・個人、4つのバランス人生:万葉集
2023-02-08T05:52:23+09:00
drss0123noborui
ライフワーク『ライフ・マネジメント・システム(LMS)』 履歴【井上ISOコンサルティング、JQA/ISO審査員、NACS代議員、青葉LC、行政環境審議委員、製品安全協会(SGマーク)マニュアル委員、大道芸ワールドカップ審査委員、シルバー・サポーター 趣味【ロックアート(石芸)、講談、俳句】取材/講演等のご依頼などは、drss0123noborui@ybb.ne.jp までお願いします。
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万葉集シリーズ 『防人の歌』
http://drss.exblog.jp/26805990/
2023-02-08T05:52:00+09:00
2023-02-08T05:52:23+09:00
2017-04-22T06:13:25+09:00
drss0123noborui
万葉集
記憶しているのは数種。
特に防人の歌は泣ける。
『父母が 頭掻き撫で 幸くあれて いひし言葉ぜ 忘れかねつる』
『韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来(き)ぬや母なしにして』
これは、防人に行くお父さんが、「泣いてすがる子どもを、母親も死んでしまってもういないのに国に置きざりにしてきてしまった」と子どものことを思って詠んだ歌。
防人歌と言われるもの。
防人(さきもり)とは、飛鳥時代から平安時代の間に課せられていた税の1つで、北九州の警護を担当する仕事。東国から北九州までの移動にかかるお金は自分で負担し、防人として働いていても税が免除されることはなく、移動中や勤務中に死んで帰ってこれないこともあった。(マナペディアより転載)
西日本シティ銀行発行の博多に強くなろうNo80『筑紫万葉』の冊子が届く。
万葉集の深い考察に感心する。
以前テレビ番組『日めくり万葉集』を見ていたことを思い出す。
万葉集を編纂した大伴家持は大宰府政庁の高官。
27歳の頃、越中守として赴任している。
昔から高級官僚のエリートは存在する。
ISO審査員時代に出かけた富山県高岡駅前に大伴家持像があることを思い出す。
万葉集は天皇から庶民まで編纂され、立場は異なるが喜び、悲しみ、恋も、自然も歌っている。
特に防人の歌に今でも共感する。
万葉集が生まれたころは、歴史上の人物として万葉集より150年前の聖徳太子、そして大化の改新の100年前、遣唐使派遣の中ごろとなる。
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読書シリーズ 図解雑学 万葉集
http://drss.exblog.jp/26301111/
2016-10-24T07:12:00+09:00
2016-10-24T10:10:16+09:00
2016-10-24T07:12:01+09:00
drss0123noborui
万葉集
先日、万葉集の講義を聴いたが、解説のレベルの高さに圧倒された。
万葉集の原文を読み聞かせていただく。
少しでも理解を深めようと思う。
筑波山に関する歌もあり、歌垣について知る。
歌垣とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。
現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。
古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。(ウイキペディアより転載)
万葉一のロマンチストの高橋虫麻呂の和歌に筑波の歌垣の集いの様子がある。
筑波山の女体山では、春秋に東国諸国の男女が集い、 歌を掛け合う歌垣が行なわれる。
鷲のすむ 筑波の宇天の もはきつの その津の上に 率(あども)ひて娘子壮士の 行き集ひ かかうかがいに 人妻に 我も交はらむ 我が妻に人も言問へ このやあを 頷く髪の 昔より 禁めぬ行事を 今日のみはめぐしもな見そ 事も咎むな
解釈は鷲が住むというのは霊的な象徴なのでそんなスピリチュアルな筑波山で若い男女が歌を掛け合っている様子。
他人の妻にいいよっても、この日ばかりは山の神様が昔から禁じていない行事なので、とがめ立てをしないで・・・
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万葉集シリーズ 筑波山の『歌垣』を知る
http://drss.exblog.jp/23454094/
2014-09-27T05:51:00+09:00
2020-09-07T16:08:48+09:00
2014-09-27T05:51:11+09:00
drss0123noborui
万葉集
歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う呪的信仰に立つ習俗。
現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。
古代日本の常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがうことができる。
歌垣は、東国地方では「かがい」とよばれる。
「かがい」とは歌を掛け合い、踊るといった意味。
本来は豊作を祈ったり、豊年であったことを感謝する行事であったが次第に歌を仲立ちとした男女の求愛の場となる。
とりわけ筑波山の歌垣は全国的に有名で春秋2回の行事には都から役人が視察に来たという記録も残っている。
伝説歌人といわれる高橋虫麿呂は当時の様子を次のように語る。
「鷲が住むという筑波の山奥に裳羽服津(もはきつ)というところがある。
その場所にお互い声を掛け合って誘い合わせた男女が多数集まり、
大いに歌い、且つ踊り実に楽しそうだ。
このような晩には俺も人妻に交わろう。
俺の女房には他人も言い寄るがよい。
これはこの山を支配する神様が遠い昔からお許し下さった行事なのだ。
何をしても咎めだてしてくれるなよ 」(万葉集遊楽から転載)
初めて『歌垣』を知る。
知らないことがまだまだたくさんあることを知る。
知らなかったことを知るのは楽しいものだ。
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万葉集シリーズ 『防人』の家族との別れ
http://drss.exblog.jp/22569224/
2014-05-07T07:23:00+09:00
2018-11-14T08:05:29+09:00
2014-05-07T07:23:45+09:00
drss0123noborui
万葉集
現存する中では日本最古の和歌集「万葉集」。
2014年度最初の「100 分de名著」では、日本人の心の原点を探るために、この万葉集を取りあげている。
万葉集の中で最も多いのが57577の短歌。
万葉集は、様々な時代に詠まれた歌を、後になって集めて編集したもの。
番組では、額田王、柿本人麻呂、大友家持など、万葉集の代表的な歌人にスポットをあてる。
詠み人知らずの歌もあり、防人の歌は切なくもの悲しい。
九州防衛の任務を担った防人に徴用され、家族と別れを嘆いた「防人歌」が知られる。
こうした万葉集を、中心になってまとめたのは、大伴家持。
繊細な感覚を持っていた家持は、憂いのこもった歌を数多く残している。
第4回では、家持の歌に込めた心情を推理しながら、世の不条理と闘いながら懸命に生きる人々を描く。
防人の歌
唐衣(からころむ)、裾(すそ)に取(と)り付(つ)き、泣(な)く子(こ)らを、置(お)きてぞ来(き)のや、母(おも)なしにして
衣の裾(すそ)に取(と)り付いて泣く子供たちを置いてきました。母もいないのに。
防人(さきもり)として選ばれて旅立った人が子供たちのことを想って詠んだ歌。
世の不条理は絶えずあり無くなることはない。
今でも、歌の悲しさは胸に響く。
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奈良県香芝市シリーズ 大津皇子が眠る二上山を知る
http://drss.exblog.jp/17764465/
2012-02-08T06:50:00+09:00
2016-10-25T16:48:43+09:00
2012-02-08T06:37:37+09:00
drss0123noborui
万葉集
『うつそみの、人にある我れや、明日よりは、二上山(ふたかみやま)を、弟背(いろせ)と我が見む』
意味⇒この世に生きている私は、明日からは二上山(ふたかみやま)を弟だと思って見るのでしょうか。
飛鳥時代、親友の川島皇子の密告により、謀反の意有りとされて捕えられ処刑された天武天皇の皇子である大津皇子(おおつのみこ)の遺体が二上山(ふたかみやま)に移された時に、お姉さまの大伯皇女(おおくのひめみこ)が詠んだ歌。 ]]>
万葉集シリーズ 大伴旅人の妻の死を悼む山上憶良の歌
http://drss.exblog.jp/17582769/
2012-01-10T17:44:00+09:00
2022-12-19T05:23:26+09:00
2012-01-10T17:32:24+09:00
drss0123noborui
万葉集
憶良にとって上官の立場。
その旅人と憶良とは敬愛しあう関係になる。
大伴旅人が大宰府に着任して間もなく妻が死ぬ。
『世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり』
この歌の後、山上憶良は挽歌をおくっている。
『悔しかも かくしらませば あをによし 国内ことごと 見せましものを』
赴任地での妻の死を嘆き、生きている間に各地を見せたかったとの無念の気持ちが伝わる。
誰もがそうであるように時すでに遅しで、奈良時代も令和時代も人の心は変わらない。
なお大伴旅人は家持の父。
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読書シリーズ 中西進著『万葉を旅する』
http://drss.exblog.jp/15008891/
2011-03-05T13:51:00+09:00
2011-03-05T17:21:06+09:00
2011-03-05T13:46:45+09:00
drss0123noborui
万葉集
その一つ、妻を亡くし出征を強いられた防人の子供との別れが切なく伝わる。
韓衣(からころむ) 裾(すそ)に取り付き 泣く子らを 置きてぞ来ぬや 母(おも)なしにして
他田舎人大島(をさたのとねりおほしま) 信濃の国造
韓衣【兵士の官服】の裾に取りすがって泣きじゃくる子ら、母親もいないのにその子供たちを置き去りにして出てきてしまった。
東国から遠く離れた西国の赴任地から、無事に戻ってこれる人が少ない時代。
集団の最高責任者、国造(くにのみやっこ)という立場から已む無く泣き叫ぶ子を振り切って旅立つ断腸の思いがひしひしと伝わってくる一首。(万葉集遊楽より転載)
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万葉集シリーズ NHK番組『日めくり万葉集』播磨娘子(はりまのおとめ)
http://drss.exblog.jp/14777587/
2011-01-20T06:38:00+09:00
2020-03-14T07:54:52+09:00
2011-01-20T06:34:44+09:00
drss0123noborui
万葉集
ただでさえ分かりにくい万葉集をひらたく解説してくれ親しみを感じる。
播磨娘子(はりまのおとめ)作
『君なくは、なぞ身(み)装(よそ)はむ、櫛笥(くしげ)なる、黄楊(つげ)の小櫛(をぐし)も、取らむとも思はず』
『あなた様がいらっしゃらなかったら、身を装ったりしないでしょう。櫛箱(くしはこ)の黄楊(つげ)の小櫛も手に取ろうとは思いませんわ』
注:櫛笥(くしげ)は、櫛や化粧具を入れる箱のことです。
女性の男性への心情が古代でも現在でも変わらない。
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