2007/11/13 今週は広島での審査。広島は審査で数回来てるが、街を散策するのは初めて。
広島城に市電に乗り出かける。市電もデザインが優れ、街に溶け込み、見ていても楽しい。
広島城は毛利、福島、浅野と引き継がれ、毛利元就は安芸の吉田郡山城を本拠に中国制覇を成し遂げた。 元就の孫輝元は、天正17年に中国の覇者毛利120万石の居城としては、山間部の吉田郡山城から平野部への進出を図り、太田川河口のデルタ地帯に大規模な城郭を構えた。 これが広島城。
慶長5年、関ヶ原の役で敵方の西軍の総大将であった輝元は、動かず周防・長門の2ヶ国に減封され、長門萩城へ移る。
替わって、関ヶ原の戦功により福島正則が、尾張清洲から49万石で入封する。元和5年、幕府の許可が下りないままに正則は石垣等の修理を行った。 このことを幕府から咎められ改易となった。 正則は、幕府より信濃高井の地に捨て扶持を与えられ居館を構えて移り、彼の地にて没した。
福島正則の去った広島城には、浅野長晟が同年紀伊和歌山より42万石で入封して、以後11代続いて明治に至ったという。栄枯盛衰を広島城にみる。(安芸広島城より転載)
また原爆ドームにも立ち寄り、当時の原爆投下による広島市民のもがき苦しむをおもう。