2007/5/28 ノイシュヴァンシュタイン城(白鳥城)はドイツ、バイエルン州のフュッセンの南方、ロマンチック街道の終点、オーストリア国境近くにバイエルン王ルートヴィヒ2世により建設された城である。
ここは2回目の見学、以前息子がヨーロッパ旅行を企画してくれ、家族4人で行った思い出の地を再び訪ね、連れて来てくれた息子に感謝。今回はロマンチック街道をバスで移動、前回はフュッセンまで電車の旅。
城全体のグランドデザインを行うよう指名されたのは建築家でも技術者でもなく、宮廷劇場の舞台装置・舞台美術を担当していた画家のクリスチャン・ヤンクであった。
ペラート峡谷にかかるマリエン橋から見るのが美しいと言われている。城の中を見学し、よくまあ、この辺境の地に豪華な城を作ったものだと感心した。
どの時代も権力者は凄いことができるものだとあらためて知る。近くにルートヴィヒⅡ世の父であるバイエルン国王ルートヴィヒⅠ世が所有するホーエンシュヴァンガウ城がある。
ルートヴィヒ2世は中世騎士道への憧れを強く抱いた人物で、ワーグナーを庇護し、彼の創作する楽劇の世界に酔いしれた。
この城は1869年9月5日に建設が開始され、1886年には、なんとか居住できる程度にはできあがった。これ以後、ルートヴィヒ2世は首都ミュンヘンに戻らず、この城に住まうようになるが、その期間はわずかに102日間で、王はベルク城に軟禁されてしまう。
これらの建設費用はプロイセン王国によるドイツ統一を支持した見返りとしてビスマルクから送られた資金などを中心に、ほぼ王室費から支出され、バイエルン政府の国庫とは別会計ではあったものの、王室公債などを乱発して借金を積み重ねた。
プロイセンに対し普奥戦争の損害賠償を未だ抱えていたバイエルン政府はこれに危機感を募らせ、最終的に首相ルッツらは、ルートヴィヒ2世を形ばかりの精神病鑑定にかけ、統治不能としてベルク城に軟禁した。
その翌日、王は主治医とシュタルンベルク湖畔を散歩中に謎の死を遂げる。そしてルートヴィヒ2世が亡くなった1886年6月13日の時点でノイシュヴァンシュタイン城の工事は未完成部分を多く残したまま中止され、その直後から城と内部は一般公開された。(ウィキペデアより転載)
1968年、映画チキチキバンバンのロケに使われた。また外観の美しさから、ディズニーランドのシンデレラ城のモデルにもなった。