『哲学』とは僕ら凡夫には縁遠いと思っていた。
『フィロソフィー』を『哲学』と訳したのが、そもそも縁遠くしたように思う。
哲学とは『どう人生を生きるか』だと諭される。
誕生⇒学生⇒就職⇒定年退職⇒年金生活と利害関係者から使われるのが普通。
特に会社員は己の人生目的も持たずただ漠然と一生を生きる。
例えば八百屋のご主人は人を評価するとき、知り合いが役員だとしても『会社員でしょ』と詰られる。
たいしたことはないという。
何も残せないが人生の障害物競走をひた走ってきた。
何が悪いのかと言われそうだが『哲学』することは少ない。
又、日本語の曖昧さが目的意識をうすめてしまう。
『YES』『NO』が冒頭に旗幟鮮明にする英米社会ではなく、日本語は最後まで聞かないと意志が見えない。
暈すことを得意とする。
責められれば、『そのように取られれば、本意ではない』と生き延びる貧しさ。
曖昧表現が長けて、結論を出さず人と比較しながらズルズルと人生を過ごす。
学校教育で『哲学』を強化すべきと思う。
大谷翔平さんのように『人生設計ノート』を作り、目標に向かい精進する事例もある。
誰もがたった一回の人生、自分の『人生設計ノート』を作り、漠然と一生が終わらないようにしたいものだ。