2005/8/23 審査で小倉に入りました。明日からの審査で、今日は少し気持ちが楽です。
北九州モノレールに乗り、上から町並みを見学、小倉の町の大きさを初めて知りました。
今日はブルーウェーブイン小倉に投宿。1階にある、ふぐ料理の春帆楼で『ふぐ晩酌セット』を注文、ふぐは高いとの思いがあり、食べた回数は、今までに数回です。ふぐの薄切り、ふぐの唐揚げ、ふぐの紙鍋などセットとなり、味わいましたが、おいしいなあという感じはしませんでしたが、どうなんでしょうか。
ここの春帆楼 小倉店は本店が下関にあり、明治28年に日清講和条約調印会場として知られているところで、伊藤博文交が名づけたそうです。
審査の為に鞍手町に行くのに、高速九州道を利用しますが高速バスが頻繁に出て便利でした。
ここ小倉には小倉城があり、戦国末期(1569年)、中国地方の毛利氏が現在の地に城を築いたことから始まります。その後、高橋鑑種や毛利勝信が居城し、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興によって、1602年に本格的に築城が始まり約七年の歳月を要しました。忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施。外国貿易も盛んにし、同時に小倉祇園太鼓で知られる祇園祭りも誕生させました。細川氏熊本転封の後には、播磨国明石から細川家とは姻戚関係にある譜代大名の小笠原忠真が、1632年に入国。小倉・小笠原藩は、将軍・徳川家光から九州諸大名監視という特命を受け、明治まで代々引き継がれました。