世界史が分かりづらい。
特に日本史と世界史のつながりも分からない。
人物から紐解いていこう。
楊貴妃はクレオパトラ、小野小町と並び世界三大美女の一人。
唐の時代、日本は平安時代。
唐9代玄宗皇帝の治世の前半は、太宗の貞観の治を手本とした、開元の治と称えられた善政で唐の絶頂期を迎えたが、後半は政治に倦み楊貴妃を寵愛したことで安史の乱の原因を作った。
阿倍仲麻呂や吉備真備等を遣唐使として派遣していた頃、時の第9代玄宗皇帝は、息子の李瑁(りぼう)の妻となった楊玉環に魅せられ、離婚させた後に楊玉環を貴妃として後宮に迎え、皇后に次ぐ貴妃とし楊貴妃と名乗る。
その後楊貴妃一族を重用し又従姉妹(またいとこ)の陽国忠を宰相にする。
そのことを苦々しく思っていた節度使の安禄山は安史の乱を起こし、さらに内部から楊貴妃の処刑も進言され玄宗は楊貴妃に自死を命じる。
756年、皇太子の李亨(粛宗)は玄宗の同意を得ないまま皇位継承を宣言し、玄宗はこれも事後承諾するしかなかった。
譲位して太上皇となった玄宗は、戦乱が収まって長安に戻ったのちも半ば軟禁状態で余生を送り、762年に崩御した。
その後唐は弱体化する。(ウイッキペディアより転載)
白居易は長恨歌で傾国の美女、楊貴妃の悲恋物語を詠う。