『一芸一能の会』を主宰している。
クリスチャンではないが、『一芸一能の会』の原点は学生の頃カトリック系大学の教授の皆さんの指導の下、運営に携わったドイツの第二次世界大戦敗戦の反省に立つアカデミー運動にある。
そこでは『話し合い』の司会者のマナーについて訓練を受ける。
『話し合い』のテーマは学術・政治・文化・宗教等多岐にわたる。
日本人の『話し合い』は『意見ではなく感情の対立』であり利害に絡む慾の皮に理屈をくっける牙の向き合いにすぎないとアカデミー運動の創設に関わった尾崎憲治氏は語る。
ドイツのアカデミー運動はナチスの台頭を許した反省に基づくという。
一方日本語は尺度が計りにくい曖昧な言い回しを特徴とする。
美学を優先し白黒をはっきりさせず、心を明かさず判断を先送りする傾向にあり誤解を招く。
西洋人からは日本人はただニタニタ笑い、何を考えているか不気味だともいわれる。
これらも改善したい。
『一芸一能の会』はまもなく10年を迎える。
一芸一能の官民有資格者が2か月に一度会い、お互いの活動の喜怒哀楽を語る。
司会者はそれぞれの活動発表を広げ、話し合いの糸口を会場に投げ、皆の感想を促し広げ、水平展開する。
司会者の力量が試される。
『一芸一能の会』では『意見ではなく感情の対立』に嵌らないよう努める。
『一芸一能の会』ではビリヤードのように球があたりあい共有し影響しあう醍醐味を味わう。
約10年続き参加者は多くはないが深掘りでき有難い。
『一芸一能』の名づけの由来は陽明学者の安岡正篤氏からくる。
『昔から“芸は身を助く”というが、我々は人間としてよくできておると同時に、何か一芸一能を持たなければならない。
つまりエキスパートであるということは、われわれが社会人としての生命を維持するにも非常に大事な条件である。
あの人でなければならぬという、何か一つを持っておることは、非常な強みである。
少なくともつぶしのきく人間になる。
それだけの素養を持っておる、いや持っておるのみではなくて、いやが上にもそれを磨くことである』と語っている。