内館牧子著『終わった人』は痛快だ。
私のことか。
あらすじは大手銀行の出世コースから子会社に出向、転籍させられ、そのまま定年を迎えた田代壮介。
仕事一筋だった彼は途方に暮れた。
美容師の妻・千草は、後ろ向きな発言しかできなくなった壮介に距離を取り始める。
このまま老け込むのは不味いと感じた彼は、スポーツジムで体を鍛え直すことにした。
しかし、満たされない。
「俺はまだ終われない。どんな仕事でもいいから働きたい」と職探しをするが、いくら高学歴とはいえ特技もない定年後の男に職などそうない。
大きな組織という箱の中にいる以上、『箱入り息子』は所詮箱から出られない。
箱の中で勝者と敗者が『嫉妬と葛藤』の渦の中で定年まで共同生活をする。
理不尽の世界。
であろうと、なかろうと出世は上司の思惑次第。
定年で箱から出され居場所を失ったことに初めて気づく。
時すでに遅し。
再生(リボーン)の気力が芽生えない。
最近、早くも40代で役職定年とし、ささやかなプライドをはく奪され、我慢するか、出て行けという。
逆にスキルを磨いたものは独立する。
サラリーマンは『何でもできるが、何もできない』
サラリーマンは社長になるという絶対の野心の持ち主以外は、40代から独立を目指すべし。
定年という満願成就を迎えロビーで花束を贈られ多くの人の拍手で見送られ、角を曲がる最後の挨拶をするため振り返ると誰もいないという偽善に耐えなければならない。
まさにこの本の表紙のデザインだ。
最後の最後に凍えるような戦慄を味わう。
箱の中に気が付いてみれば40年近くいることが、望んだ人生だったのか。
組織の人生計画と個の人生計画が一致しているほど惨めなものはない。
新陳代謝は世の常、いずれ下剋上捨てられる。
自らの人生を見返す中高年サラリーマン必見の書だ。
鶏口となるも牛後となるなかれ
雌伏雄飛