読売新聞によれば日米開戦前日の1941年12月7日夜、東条英機首相が政府高官に開戦について語った内容が、メモとして残っていることがわかった。
東条はこの日昼、開戦当日の予定を昭和天皇に説明したことにも言及。
戦争に反対していた天皇が開戦を決意し、軍が一致して行動する状況になったことで「すでに勝った」と発言するなど、太平洋戦争に突入する前夜に高揚する東条の胸中を初めて伝える貴重な史料だ。
メモは、当時の湯沢三千男内務次官(1963年死去)の遺品から見つかった。東条の言葉を便箋5枚に書き残したもので、「十六年十二月七日(日曜日) 午後十一時二十分」との日時も書かれている。
昭和天皇は主戦派の陸軍を抑えるため、41年10月、陸相の東条に組閣を命じ、外交交渉で戦争を回避する検討も求めた。
だが米側の最終提案「ハル・ノート」が届き、交渉を断念。
12月1日の御前会議で開戦を最終決定し、8日未明、米ハワイの真珠湾を攻撃した。
前天皇の責任を引き継ぎ、現天皇は全国各地の戦争犠牲者の慰霊の旅を続ける。
半面、安倍政権は友人のトランプ大統領に追従し、経済界を取り込み戦争へと誘う。
いつまで続く安倍政権、石破・野田・岸田の奮起に期待する。
野党は乱立で力が分散し頼りない。