銀閣寺を訪ねる。
修学旅行以来2回目。
54年ぶりか。
正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。
銀閣寺の名の由来は江戸時代、金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれている。
室町幕府八代将軍の足利義政によって造営された山荘東山殿を起原とし、義政の没後、臨済宗の寺院となり義政の法号慈照院にちなんで慈照寺と名付けられた。
九歳にして家督を、十五歳にして将軍職を継いだ義政は、生涯をかけ自らの美意識のすべてを投影し、東山文化の真髄たる簡素枯淡の美を映す一大山荘を作り上げた。
銀閣寺は美の求道者ともいえる義政の精神のドラマを五百年後の現代に伝える。(銀閣寺ホームページより転載)
室町時代は日本のルネサンスといわれ、公家社会と武家社会の文化が融合した。
茶や花、能等多岐にわたり文化が育つ。
足利尊氏が幕府を鎌倉に引き続き置いたならルネサンスは興らなかっただろう。