ビジネスメディア誠によれば先がいっこうに見えてこない東京電力の福島第1原発事故。3月30日になってようやく勝俣恒久会長が記者会見を開いた。
入院した清水正孝社長は記者会見を一度開いただけで、トップによる記者会見は事故から20日近くたって2度目である。
会見で語った内容は、ほぼ予想されたものだと思う。しかし原発史上最悪ともいえる事故を起こした企業のトップとして、メディアの前に顔を出すのは遅過ぎたのではないだろうか。
大手石油会社BP(ブリティッシュ・ペトロリアム)がメキシコ湾で油田火災を起こしたとき、トップはずいぶん早い段階から何度も記者会見をしていたように記憶する。
事故当初から東電の広報姿勢に疑問を呈する声が強かった。説明があいまいで「健康に直ちに影響はない」というような言い方が目立ったからだ。
データを示せば(例えば放射線量が通常値の100倍など)と言えばパニックになると思ったのだろうが、あいまいにすればするほど「隠している」と思われることに気がつかなかったのだろうか。
海外メディアがかなりパニックになった背景には、東電や原子力安全・保安院の会見が、あまりに漠然としていたことがあると思う。
会見場にテレビカメラが入ってそれをライブで一般国民が見ているというのに、国民に向かって(少なくとも東電管区の顧客や株主に向かって)説明するという姿勢はほとんど見えない。
広報部の会見が中継されるというようなことは今まで経験したことがないことだから、そこは同情の余地がある。しかし何度か繰り返せば、どこに国民が不満や不安を感じているのか、フィードバックがあるはず。そこで軌道修正することがなぜできなかったのかが不思議でならない。
清水社長が福島県知事のところに謝罪に行こうとして断られたのはちょっとみっともなかったが、もっと問題なのは、鼓紀男副社長が避難している住民に謝罪に行ったときである。
体育館のようなところに訪れた副社長は、確かにおわびの言葉を語り、何人かの住民に直接頭を下げた。
針のむしろに座っているような気分だっただろうと想像するが、彼は立ったままお辞儀をしたのである。
3月30日、天皇皇后両陛下が足立区の東京武道館に避難している人々を訪問した。
陛下は膝をついて人々に語りかけ、励ました。
床に座るような状況に追い込まれている人々に対して、両陛下が心からの共感を示したように見えるのに対し、立ったまま上から「謝罪」した東電副社長は視聴者からどのように見られただろうか(ちなみに皇居では自主停電を実行し、那須の御用邸では職員用の風呂を避難している人々に開放している。
東電にも立派な保養所があると思うが、そうした施設を避難所に開放したという話は聞こえてこない)。
鼓副社長が立ったまま謝罪したから、本心から申し訳ないと思っていないなどというつもりはない。
問題は「本心」ではなく「見え方」なのである。
記者会見場での頭の下げ方は誰でも気にするが、話し方や表情にまで気を配っているように見えないのはなぜだろうか。
例えば計画停電の発表の仕方でも、それで困る中小企業の工場などに対する配慮がほとんど感じられなかった。
工場は「ご不便」という言葉ではすまない負担があるとニュースで報じられている。
普通の民間企業なら、いきなり地域分けして「サービス」の供給停止を宣言することなどありえない。そんなことをすればたちまち企業の存亡に関わるからである。
東京電力にはそうした緊張感が感じられない。
勝俣会長は、東電国有化という議論が出ていることについて「私どもとしては民営でやりたい」と答えた。
損害賠償額が巨額に上ることも、原子炉を廃炉にするためのコストがかかることも容易に想像がつく。
おそらく賠償金は数兆円にのぼり、とても一企業が負担できる金額ではあるまい。
勝俣会長は国がどのように救済してくれるか分からないと語ったが、国の救済とはすなわち税金である。
税金で救済されることを前提とする民間企業というものがありうるのだろうか。そのあたりは公益企業としてのあり方が問われるところだろう。
東電がこれからの数週間にどのような対応を取るかによって、利用者の目はより厳しいものになるかもしれない。
その時には、巨額の賠償に対する国の支援や料金の値上げといったことについて、相当強い反発が生まれることも覚悟しなければなるまい。
事故はある程度仕方がない。しかしその事故のダメージをコントロールすることがリスク管理だとすれば、少なくとも今の東電(原子力安全・保安院もだが)がうまくやっているとは誰も思わないに違いない。
やはりそうかと思う論評だ。国際的な重大な事故を起こしておいて、損害賠償を気にするあまり責任を感じる姿勢が感じられない。
特に武藤東電副社長の記者会見での立ち居振る舞いは傲慢で信じられない。
武藤さん、事故を起こしておいて、なおかつ貴方はそんなに偉いのか。