NHK大河ドラマで女城主『直虎』があった。
ドラマで今川家に人質にだされた井伊家の『直虎』と今川家の『瀬名姫(月山殿)』との出会いを知る。
『瀬名姫』の血筋は今川家。
今川氏の系譜の源流は源義家、源氏の基礎を築いた八萬太郎義家。
また義家の子義国から新田氏、足利氏に分かれる。
足利氏はさらに吉良氏と今川氏に分かれる。
現在の愛知県西尾市今川町が今川氏発祥地で静岡ではなかったことを知る。
しかし静岡の瀬名は徳川家康の妻 築山殿となった今川の血筋である瀬名姫の出身地。
父親は瀬名郷主の関口刑部少輔親永、母は今川義元の妹で、瀬名姫は義元の姪にあたる今川一門である。
一門の関口氏は初代静岡県知事となり、子息は広辞苑の執筆者で知られている。
天文17年(1548)、親永が養父の遺領を嗣いで、持舟城主となり、母とともに駿府へとやって来た。
そこで瀬名郷からやってきたので、瀬名姫と呼ばれるようになったという。
弘治 3年(1557)正月15日に瀬名姫は、元服して松平元信と名乗っていた家康公(16歳)に嫁ぐ。
結婚当初は仲睦まじい夫婦であったようで、永禄 2年(1559) 3月に嫡男・竹千代(のちの岡崎三郎信康)を、翌 3年(1560)には長女・亀姫を生んでいる。
天正 7年(1579) 8月29日、瀬名姫は、甲斐の武田勝頼に内通した疑いで、弁明のために岡崎から浜松へと向う途中、家康公の命を受けた家臣の野中三五郎重政と岡本平右衛門時仲によって、遠江小藪村(浜松市富塚町)の佐鳴湖畔で殺害された。
同じく疑いをかけられた長男 信康が、遠江の二俣城で自刃する。(杢右衛門のホームページより転載)