2009/10/12 渋沢栄一著『孔子』は孔子を身近に知る上でためになる。渋沢栄一氏は大政奉還後、駿府に退いた徳川慶喜公に請われ、一時、静岡の教覚寺に居を構えていたが、その後慶喜公の弟の昭武氏と同行し万国博覧会に出席し、約2年間各国を回り、資本主義文明を学び、帰国後多くの会社を設立し資本主義を日本に根付かせた人物。
渋沢栄一氏が最も尊敬した人物が寛政の改革を展開した白河藩主の松平定信である。
その渋沢栄一氏が孔子の教えに基づき日常生活の立ち居振る舞いについて解説している。
その中で孔子の『子曰く、已ぬるかな。吾未だよくその過ちを見て内に自ら訟むる者を見ざるなり』に対して渋沢栄一氏は『だいたい人は過失を犯しても、これを自覚しない人が多い。
たとえ自覚しても心に悔いて改める者は大変少ない。
また過失を言いつくろって人の眼をごまかし押し通したり、はなはだしいのは十分に自分の非を承知した上で、なおかつやり遂げてしまう者さえいる。』と解説する。
私も非難される側だ。
孔子は『世も末である。私は未だに過ちを知って自らを責め、悔い改める者を見たことがない。これから以後もついにこれを見ることができないのか』と続く。