2009/8/18
長崎に行って大浦天主堂を見学する。
大浦天主堂が国宝だとは知らなかった。
知ったかぶりしているが知らないことや間違って覚えていることがなんと多いことか。
大浦天主堂は正式名称である「日本二十六聖殉教者天主堂」からもわかるように、1597年日本で最初に殉教した日本26聖人たちに捧げられた教会。
1549年にフランシスコ・ザビエルが日本に宣教して以来、約50年ほどがたった時、豊臣秀吉によってキリシタン弾圧の命令が下され、その命令に従って石田三成により1596年のクリスマス頃、大阪・京都あたりでキリシタンが捕縛。
石田三成が関わっていたとは知らなかった。
捕縛された24人は、京都や大阪・堺の町を引きまわされた後、長崎へ護送され、一ヶ月ほどかけて裸足で歩いて長崎に送られ、この途中二人が加わって26人は西坂で処刑。
処刑地を長崎の西坂にしたのは禁教令にもかかわらず、長崎はキリシタンの町として栄え、ポルトガル貿易の為、秀吉は長崎に宣教師の居住を認め、住民の信仰の自由を黙認したものの長崎に住む人々への警告のためであったと思われる。(大浦天主堂より転載)
良いことをするのも人間、残虐なことをするのも人間、同じ人間にも善人と悪人が宿っている。
それが人間だ。
悲しいかな私も同じだ。
豊臣秀吉も徳川家康も理不尽にも関わらず身内も死に追いやっている。
しかし反面歴史上の美学として奉られている。
これも不思議だ。
理不尽は世の常なのかもしれない。
まさにいつの世も清濁併せ呑む混沌というべきか。