2009/6/25 仕事の帰りは吉備線で総社から岡山に向う。伯備線の方が早く着くが、滅多に来ないので吉備路を遠回りする。
途中備中高松駅を通る。ここは羽柴秀吉が毛利征伐を織田信長に命じられ、毛利方の武将 清水宗治が守る備中高松城を包囲。城主 清水宗治は平城に立てこもり秀吉は手を焼く。
秀吉の軍師 黒田官兵衛は水攻めを進言、堰止めしていた足守川の濁流を一気に長し、高松城は孤城となる。
勝敗はすでに決まり、毛利側の和議に基づき、城主 清水宗治の切腹、高松城の明け渡し、城兵5,000人の助命で成立。
秀吉は漕ぎ出た小船で出てきた清水宗治の切腹を見届け、すぐさま山崎にとって返し、本能寺を襲撃し織田信長を自刃させた明智光秀を討ち、天下統一を果す。
清水宗治辞世の句
『浮世をば 今こそ渡れ 武士の 名を高松の 苔に残して』