2009/6/2 今はない静岡の割烹旅館 喜久屋の嵯峨流庭園も太田道灌の造営とか。
『精進落とし』で庭を見る機会があった。
太田 道灌/太田 資長(おおた どうかん/おおた すけなが)は室町時代の武将。
武蔵国守護代。
江戸城を築城した武将として有名。
落語に『道灌』という演目がある。
粗筋は道灌が父を尋ねて埼玉の越生(おごせ)の地に来た。
突然のにわか雨に遭い農家で蓑を借りようと立ち寄った。
その時、娘が出てきて一輪の山吹の花を差し出した。
道灌は、蓑を借りようとしたのに花を出され内心腹立たしかった。
後でこの話を家臣にしたこところ、それは後拾遺和歌集の
「七重八重 花は咲けども 山吹の実の一つだに なきぞ悲しき」
の兼明親王の歌に掛けて、山間(やまあい)の茅葺きの家であり貧しく蓑(実の)ひとつ持ち合わせがないことを奥ゆかしく答えたのだと教わった。
古歌を知らなかった事を恥じて、それ以後道灌は歌道に励んだという。(ウイッキペディアより転載)
写真は大蘇豊芳年画『太田道灌初めて歌道を志すの図』