2009/5/30 本願寺のことでお西さん、お東さんと聞いたことがあるが、どんな経緯で分かれたのか興味がなかったが知る機会を得た。
徳川家康は本願寺と一向一揆の力を殺ぐため本願寺を二つに割ったという。以前からあった准如の本願寺を西本願寺とし、徳川家康が教如をそそのかし新しくつくったのが東本願寺。
これにより各地の一向宗寺院も東西に別れ、お互いに正当性を主張し、争い団結力が失われ、徳川家康の思惑は成功した。これらの画策には静岡にいた金地院崇伝の悪知恵が働いたといわれる。
歴史は流れ幕末には佐幕派にたつ東本願寺と薩長派にたつ西本願寺と様相が変る。大政奉還後佐幕派にたつ東本願寺は新政府に睨まれ、北海道開拓に従事することを促された。北海道には今も東本願寺真宗大谷派の寺院が多くあるという。
折りしも名古屋市博物館に於いて親鸞聖人750回大遠忌記念「本願寺展 ― 開かれる世界遺産の扉」 が開催されている。
「お西さん」で親しまれる浄土真宗本願寺派本願寺の阿弥陀如来への帰依を通じて専修念仏を説いた親鸞聖人自筆の国宝「観無量寿経註・阿弥陀経註」をはじめ、国宝「三十六人家集」、国宝「熊野懐紙」など展示されているという。