2009/5/9
下野代の帰り名古屋経由で戻るが、美術展だけを見に行く気持はないものの、序でに金山のボストン美術館まで足を伸ばす。
ここではボストン美術館開館10周年記念としてゴーギャン展をやっている。今回の目玉は『我々は何処から来たのか、我々は何ものか、我々はどこへ行くのか』で、不朽の名作といわれている。
サマセットモーム作の『月と六ペンス』はゴーギャンがモデルとか。書棚から見つけ読んでいる。
1895年ゴーギャンはタヒチの地を踏み、その後二度とヨーロッパに戻ることがなかった。≪我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか≫ この謎めいたタイトルを持つ大作は、この二度目のタヒチ滞在中に描かれる。
作者自身「これまでに描いたすべてのものよりすぐれているばかりか、今後これよりすぐれているものも、これと同様のものも決して描くことはできまいと信じている。」と述べているように、まぎれもなくゴーギャンの最高傑作である。
この大作を描いた当時、ゴーギャンは極めて過酷な状況に置かれていた。遠く離れたヨーロッパでの愛娘の死、悪化する病の苦しみ、経済的な困窮。親友モンフレエにあてた手紙に拠れば、「私は12月に死ぬつもりだった」のであり、「死ぬ前に、たえず念頭にあった大作を描こうと思」い、「まる一月の間、昼も夜も」この作品に取り組んだのである。
横長の画面の上には、人間の生の様々な局面が、一連の物語のように展開する。画面右下には眠る幼児と三人の女性。
その左上に「それぞれの思索を語り合う」紫色の着物の二人の女性と、それを「驚いた様子で眺めている」不自然なほどに大きく描かれた後姿の人物。中央には果物をつみ取る人。
その左には猫と子供と山羊、背後にはポリネシアの月の神ヒナの偶像が立ち、「彼岸を指し示しているように見える」。その前にしゃがむ女性は顔を右に向けながらも視線は逆向きで、「偶像の言葉に耳を貸しているよう」である。
その左には「死に近い一人の老婆が、全てを受け容れ」、「物語を完結させている」。老婆の足もとにいる、トカゲをつかんだ白い鳥は言葉の不毛さを表している。
これらの人物像のほとんどは、ゴーギャン自身の作品の中で頻繁に描かれてきたモチーフのヴァリエーションであり、それらモチーフはまた、彼が主に写真や複製を通じて親しんでいた世界中の様々な美術作品や遺物のイメージをその源泉としている。
旧約聖書の楽園追放を想起させる中央の人物はレンブラント派の素描に基づき、さらにインドネシア、ジャワ島のボロブドゥール遺跡からの影響も見られる。
また、左端の老婆の頭を抱えるポーズは以前からゴーギャンの作品の中に何度も現れてきたものであるが、パリのトロカデロ博物館にあったペルーのミイラを源泉としていると言われている。
古今東西様々な出自を持つモチーフが、ゴーギャン一流の手の込んだ変奏と融合を被った上で、夢幻的な空間の中にまるでコラージュのようにちりばめられている。
≪我々はどこから来たのか≫ この大作の発するメッセージは何なのか。ゴーギャン自身はそれについて明確な説明を残していない。しかし、この作品は、見る人それぞれのうちに様々な物語を誘発して止まず、私たちの内面の深い部分に常に何かを問いかけてくる。この作品の強い喚起力は、美術という枠組みを超え、混迷を深める現代の社会にあってますますその存在感を高めている。(ボストン美術館より転載)