2009/4/14
交通機関を利用していると隣の席の見知らぬ人から声をかけられることが希にある。この方から青森県三戸郡新郷村戸来(へらい)に「キリストの墓」があるという滅多に聞けない話を伺う。
『竹内文書』という古文書が伝わる竹内家の当主、竹内巨麿(たけうちきょまろ)は『竹内文書』に記された「キリストは日本で死んだ」という記述に基づき、キリストの墓と思われる土まんじゅうを見つけたというのだ。
その古文書によれば、ユダヤに生まれたイエス=キリストは、21歳の時に日本に来て、12年間にわたって今の富山県で言葉や文字、神学を習い、さまざまな修行を重ねたという。聖書では21歳から12年間のイエスの記述はまったくないので、このあたりは符合する。33歳の時にユダヤの地に帰ったイエスは、聖書に記述されているように、数々の教えを人々に説き始める。しかし、彼の言動は、ユダヤ教パリサイ派の反感を買い、ローマに反逆を企てる者として磔の刑に処せられる。
ところが、古文書によれば、磔に処せられたのは実はイエスではなく、彼の弟イスキリだった。 イエス自身は、再び「神の国」をめざす。中央アジアからシベリア、さらにはアラスカを経由し、4年後、船で八戸に上陸、戸来村にやってくる。イエスは「十来(とうらい)太郎大天空」と名を改め、同村沢口の丘の上に居を定めた。そして、ミユ子という女性を娶り、三女をもうける。とくに布教に努めることはなかったが、自ら畑を耕し、作物を作っては貧しい人々に分けてやったという。白髪の禿頭、鼻の高い赤ら顔で長いマントを着て歩く彼の姿を見て、村人は「天狗様」として畏敬したという。
こうして彼は106歳の天寿を全うし、その遺体は風葬にされ、骨は4年後に住んでいた家の跡に埋められた。それが「十来塚」であり、そのとき、彼が携えていた弟イスキリの耳と母マリアの頭髪も葬られた。それが「十代塚」である。(ミステリーな青森より転載)
本当かどうか、俄かに信じがたいが、とんでもない話があるものだと興味深い。二度とお会いすることがないだろう方からの話で印象に残る。