ワーズワースは1770年、イギリスの北西イングランドの「湖水地方」と呼ばれる風光明媚なコッカマスに誕生した。イギリスの自然詩人として知られる。
昨年ワーズワースの湖水地方を訪ね、ワーズワースの詩を初めて知る。作品『水仙』は特に有名。
『水仙や 翻りつつ 踊りつつ』
『谷また丘の上に高く漂う雲のごとく
われひとりさ迷い行けば
折しも見出でたる一群の
黄金色に輝く水仙の花
湖のほとり、木立の下に
微風に翻りつつ、はた踊りつつ』『マーガレットの愁傷』は貧しい寡婦の息子の放蕩を嘆く母の気持ちがつづられ、どこの国にも共通する親の子に対する切ない気持が伝わる。
山形の赤湯温泉の御殿守という旅館の受付に坂村真民さんの自筆の詩が掲げられていた。
題名は『二度とない人生だから』で印象に残る。
プロフィールによると坂村真民さんは明治42年1月6日 熊本県に生まれる。8歳の時に、父親の急逝に
よりどん底の生活に落ちる。5人兄弟の長男として母親を助け、幾多の困難と立ち向かう。昭和6年 神宮
皇学館(現皇學館大學)を卒業。25歳の時、朝鮮にて教職につき、36歳全州師範学校勤務中に終戦を迎える。昭和21年から愛媛県で高校の国語教師を勤め、65歳で退職、以後詩作に専念する。始めは短歌を志し、昭和12年『与謝野寛評伝』を著している。四国に移住後,一遍上人の信仰に随順して仏教精神を基調とした詩の創作に転じる。
平成18年12月11日永眠(97歳)
『本気』という詩が胸に響く。
本気 詩:坂村真民
本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる
変わってこなかったら
まだ本気になってない証拠だ
本気な恋
本気な仕事
ああ
人間一度
こいつを
つかまんことには
文芸春秋夏号の『もう一度日本を旅する』で大竹昭子さんが『極私的名所の誕生』と題し、金子みすずさんの出身地 山口県長門市仙崎を訪ねている。
大正末期から昭和初期にかけて、26歳の若さで服毒自殺によりこの世を去るまでに512編もの詩を綴ったとされ、西條八十から「若き童謡詩人の中の巨星」と賞賛された。

仙崎はクジラで栄えた漁港町。
金子みすずさんが『大漁』という詩を残している。
朝焼け小焼けだ大漁だ
オオバいわしの大漁だ
浜は祭りのようだけど
海の中では何万の
いわしの弔いするだろう
絶対矛盾を承知で生きながらえている人間の無常を感じる。金子みすずさんの詩、『蓮と鶏』 『ふしぎ』 『私と小鳥とすずと』 『さびしいとき』に教覚寺の南荘住職さんが作曲していることを知る。
父の日のプレゼントにサムエル・ウルマン著『青春とは心の若さである』が届く。人生の終盤を迎えつつある親に生きる情熱を失わないようにとの心遣いに感謝。
慌しく生きてきて、人生を深く味わうゆとりもなく来てしまった晩年、詩をゆっくり味わうチャンスをもらう。
そうだ、これからは漠然と通り過ぎるのではなく身近なものを少しでも深く見て行こう。
『青春とは人生のある期間ではなく、心の持ち方を言う。
バラの面差し、紅の唇、しなやかな手足ではなく、逞しい意思、豊かな想像力、もえる情熱をさす。
青春とは人生の深い泉の清新さをいう。』
小林章夫著『イギリスの詩を読んでみよう』を図書館から借りる。今まで関心の薄い分野。
イギリスに行って現地のガイドさんからワーズワースの水仙、女性詩人のエミリー・ブロンテ、シェイクスピアのソネット集など教わる。
エミリー・ブロンテは小説家、シェイクスピアは劇作家と思い込んでいたが詩人でもあることを知る。
テスなどの小説で知られるトマス・ハーディも妻の死を悼む詩を残している。
『何故君はあの夜知らせてくれなかったのだ
夜が明けるとあっという間に
静に、なんでもないことのように
生を終え、不意に旅たってしまった
あとを追うことも出来ず
燕の翼で追いかけても
もう一度見ることもかなわない』そして後の部分では『最近ではお互いに口もきかなかった』と述べ、何故もっと話をしなかったのか悔やんでいるが、己の思い込みが解けず身動きが出来ない心の状態が続き、時すでに遅しか。誰にでも起こる心の現象だ。
湖水地方に入りイギリスの田園風景を愉しむ。季節的に丁度よい時期で雨も降らず、温かく、バラなどの花が咲き始め、太陽の光が樹木の葉の色合いをときめかしている。



ウィリアム・ワーズワースは、イギリスの代表的なロマン派詩人であり、湖水地方をこよなく愛し、純朴であると共に情熱を秘めた自然讃美の詩を書く。
73歳で桂冠詩人(けいかんしじん)となる。桂冠詩人とは政府等によって公式に任命された詩人またはその称号。
古代ギリシャ・ローマ時代に、詩人たちが詩作の競技を行い、勝者が月桂樹の冠を頭に乗せたという故事に基づく。(ウイッキペディアより転載)

『郭公』
おお、陽気な訪問者よ! 確かに汝だ
汝の歌を聞き、わたしは喜びにみたされる
おお、郭公よ! 汝が鳥であろうはずはない
彷徨える聖なる声ではないのか?
みどりなす草のうえに横たわって
二重のさけび声をわたしは聞く
丘から丘へとその歌は通り過ぎる
ひとたびは遠く、ひとたびは近く
ただ谷間へとあどけなくも呼びかけるが
太陽の光にみち、花々のかおりにみち
汝はわたしに、かの秘密の物語をかたる
地上を離れた想像の時をもたらす
みたび歓迎の言葉を、春の寵児よ!
わたしにとって、汝はまさに
鳥ではなく、不可視の存在である
その霊妙な声は神秘の精髄である
2009/5/1 ゴールデンウィークに入るも豚インフルエンザで舛添厚労相はカナダから帰国した修学旅行の高校生が簡易検査でインフルエンザA型の陽性反応が出たと発表。
新型インフルエンザが判明したわけではないがマスクの着用、不要不急な外出を控えることなどの対応を求めている。
今年のゴールデンウィークは特に予定はない、読書とするか。そして家人の帰省を愉しみにしている。
先日行った赤湯温泉の旅館のレセプションに大きく掲げてあった坂村真民の詩が気に入り、坂村真民著『朴』の詩集を見つける。素朴な言葉運びに、強く引き付けられる。
二度とない人生だから一輪の花にも 無限の愛をそそいでいこう
一羽の鳥の声にも無心の耳をかたむけていこう
二度とない人生だからつゆくさのつゆにも めぐりあいのふしぎを感じ 足をとどめて見つめていこう
二度とない人生だからまず一番身近なものたちに できるだけのことをしよう 貧しいけれども心豊かに接していこう
二度とない人生だからのぼる日 しずむ日
まるい日 かけていく日
四季それぞれの 星星の光にふれて
わが心を洗い清めていこう
2009/4/27 赤湯温泉の旅館 御殿守のフロントに大きな坂村真民さんの『二度とない人生だから』の詩が飾ってある。20代の頃、この詩に出会い、二度とない人生の題名は頭から離れなかったが内容を覚えておらず、時折探していたが見つからなかった。念ずれば花ひらくではないが出会うことが出来た。

たまたま旅館のフロントに飾ってある板村真民さんの詩を見つけ、早速女将さんに尋ねる。縁があり坂村真民さんに書いていただいたという。その詩が書いてある名刺型のカードをいただき名刺入れに忍ばせる。また露天風呂にも石碑があり、坂村真民さんの『念ずれば花ひらく』があった。
『念ずれば花ひらく』は坂村真民さんによれば詩と信仰が凝縮した言葉という。この言葉は京都 常照寺の境内にも建っている。常照寺は、日乾上人に帰依した遊女 吉野太夫ゆかりの寺として知られる。吉野太夫は、京の豪商で文化人でもあった灰屋(佐野)紹益に見初められるが身請けしようとした紹益の親は猛反対。
その後、吉野太夫に会った親は、身請けを許している。この二人のロマンスは、歌舞伎などでも演じられ有名。なお、吉野は38歳という若さで病死してが、日乾上人に帰依し、生前には山門を寄進した縁もあり、この寺に葬られたもの。念ずれば花ひらくにも通じるか。
寺の始まりは元和2年(1616)、本阿弥光悦の子・光嵯が発願し、本阿弥光悦の寄進した土地に日蓮宗中興の寂照院日乾上人を招じて開祖。太夫の墓や太夫が寄進した「吉野の赤門」と呼ばれる山門、吉野窓(茶室)、吉野桜も有名。(私の青秀庵より転載)
2009/1/7 吉野歯科医院の待合室にコピーが置いてあり、歯石除去の後、許可を得て持ち帰る。それには『和清』と署名がある詩で、題名は『あたりまえ』、和清さんの苗字が分らない。何方だろうか。
あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんななぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばせばなんでもとれる
音が聞こえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだと、笑ってすます
食事が食べられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいにすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんな決してよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ
坂村真民さんの詩は簡潔で、訴える力があり、共鳴できる。古来よりなんら変わらぬ生きる原点を指し示し、分りやすい。私が出合った好きな詩人。坂村真民さんの詩集を時々見開き楽しんでいます。
本気になると
世界が変わってくる
自分が変わってくる
変わってこなかったら
まだまだ本気になってない証拠だ
本気な恋
本気な仕事
ああ
人間一度
こいつを
つかまんことには