井上登の80代人生論 ~ 仕事・地域・家庭・個人、4つのバランス人生:講談
2023-07-24T16:01:47+09:00
drss0123noborui
ライフワーク『ライフ・マネジメント・システム(LMS)』 履歴【井上ISOコンサルティング、JQA/ISO審査員、NACS代議員、青葉LC、行政環境審議委員、製品安全協会(SGマーク)マニュアル委員、大道芸ワールドカップ審査委員、シルバー・サポーター 趣味【ロックアート(石芸)、講談、俳句】取材/講演等のご依頼などは、drss0123noborui@ybb.ne.jp までお願いします。
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講談シリーズ 創作講談『ふうてんの寅さん物語』
http://drss.exblog.jp/33360266/
2023-07-22T05:48:00+09:00
2023-07-24T16:01:47+09:00
2023-07-22T05:48:19+09:00
drss0123noborui
講談
ISOコンサルタント時代、全国47都道府県を回り仕事の合間に垣間見たエピソードを綴る。
創作講談『ふうてんの寅さん物語』を演じる。
創作講談『ふうてんの寅さん物語』という一席を申し上げます。
『ふうてんの寅さん』がトランクを持ちの神社仏閣の縁日を旅するがごとく、キャリーバッグを引きずりながら環境国際規格の審査員、その後コンサルタント稼業。
北は北海道から南は九州まで47都道府県、心に残る旅の一コマを徒然に語らせていただきます。☆
さて北の国、札幌から大雪山に向かうレンタカーでキタキツネに遭遇、ピョンピョンと撥ねるがごとく、跳躍の美しさと愛らしい瞳に焼き付けられたのが北海道。☆
そして津軽海峡を渡ればみちのくゆ青森県、十和田湖をタクシーでひと廻り、なにもない銀世界の残像が蘇ります。☆
秋田県は小坂町、ホテルで自転車を借り、冷たい朝風を浴びながら明治43年誕生の芝居小屋『康楽館』を訪ね暗闇の『奈落の底』とはこうゆうところかと目の当たりにする。☆
そして岩手県、滝沢村を訪ね、『雨にも負けず風にも負けず』と謳われし宮沢賢治のイーハトーブ(宮沢賢治の理想郷)のお岩木山の風景を味わう。☆
浄土真宗開祖、親鸞さんの念仏が後鳥羽上皇の怒りに触れ佐渡に島流し、途中西方寺に逗留し布教、ここに杖の竹を逆さに挿し、逆さ竹が増えたという嘘のようなホントの話しは新潟県。☆
イギリス人女性旅行作家、イザベラ・バードは140年前、東洋のアルカディアとうたわれし南陽を従者と二人で旅したのが山形県。
東日本大震災で南三陸町庁舎で最後まで避難を呼びかけた女性職員に哀悼の花を手向けに家人に誘われ行ったのは宮城県。☆
福島県では秘境と言われし只見線の会津柳津温泉、弘法大師空海が作りし日本三大虚空蔵菩薩を祀る圓藏寺、真っ赤なツバキにかかる雪景色が脳裏に残る。☆
慶長5年(1600年)、徳川家康は上杉景勝を討つべく小山(おやま)に着陣、この時石田三成が家康打倒の兵を上げたとの報せ、小山(おやま)にて軍議が開かれたのが『小山(おやま)評定』、関ヶ原の戦いがはじまる重要な地となったのは栃木県小山。☆
赤城の山も今夜を限り、生まれ故郷の国定の村や、縄張りを捨て国を捨て、可愛い子分の手前たちとも、別れ別れになる門出だといわれし地、赤城山はサラリーマン時代の若き勤務地、群馬県。☆
『シャボン玉飛んだ、屋根まで飛んだ、屋根まで飛んで壊れて消えた』で知られし童謡詩人、野口雨情は長女を七日目で亡くした悲しみを歌う。 野口雨情記念館は茨木県。☆
徳川八代将軍、徳川吉宗公がインドから来た背中にこぶがある白牛(しらうし)を見物、今も育てられていることにびっくり。 一杯100円の牛乳の味の違いは感じなかった『酪農の里』は千葉県。☆
埼玉県では方広寺鐘銘事件で『国家安康』と刻まれ家康を分断したと豊臣家に難癖をつけ大阪夏の陣の引き金となったのは画策した徳川家康のブレーン天海僧正の寺、喜多院を訪ねるは川越、ウナギが旨い。
神田三社祭で三基の神輿が街を練り歩き、神輿にGPSが付いていてスマホで特定し家人と神輿を追いかけた思い出が江戸、東京都。
桑田佳祐さんの『チャコの海岸物語』の歌詞に出る烏帽子岩は生まれ故郷の湘南。死んだら僅かな散骨をしてほしいと願う江の島を懐かしみ、思い出すは『白波五人男』
知らざあ言って聞かせやしょう浜の真砂と五右衛門が歌に残せし盗人の種は尽きねえ七里ヶ浜その白浪の夜働き以前を言やあ江ノ島で年季勤めの稚児が淵百味講で散らす蒔き銭をあてに小皿の一文字百が二百と賽銭のくすね銭せえ段々に悪事はのぼる上の宮岩本院で講中の枕捜しも度重なりお手長講と札付きにとうとう島を追い出されそれから若衆の美人局ここやかしこの寺島で小耳に聞いた爺さんの似ぬ声色でこゆすりたかり名せえゆかりの弁天小僧菊之助たぁ俺がことだぁ
住んでいた辻堂では、卒業した辻堂小学校はちあきなおみさんと同窓、明治中学校では元SNAPの中居正広さんと同窓生、ジョンレノンの妻、オノ・ヨーコさんの実家があり、辻堂駅でジョンレノンを見かけたと、運転手さんの話を聞いたのが神奈川県。☆
『富士山一周ドリームウオーク』の山中湖コースでは『山中湖花の都公園』に一面のチューリップと芝桜を見ながら10㎞のウオーキング中、足をくじいたのは山梨県。
『泣かぬなら鳴くまで待とうホトトギス』と言わしめ関ヶ原の戦いを制した徳川家康のご隠居地の駿府、江戸に睨みを利かすのは静岡県。☆
さて北陸に向かいましょう。 JR北陸本線の加賀温泉駅を通過すると高さ73mの巨大な加賀大観音像が出現するのは永平寺がある福井県。☆
そのお隣は石川県、奈良時代から山岳を修験の霊山として開山したのが白山。 松任のビジネスホテルから地酒をいただきながら白山を望む。☆
岐阜県では国歌『君が代』の歌詞に『さざれ石の巌となりて苔のむすまで』とあり、可児市にあるコンサルタント先の玄関に巨大なさざれ石を見たのは初めて。
大須観音は日本三大観音、真言宗智山派の別格本山の寺院、本尊は聖観音。 通称『大須観音』といわれ、大須演芸場があり門前市をなし知られるは愛知県。
牛にひかれる善光寺では早朝にでかけ、跪(ひざまずき)き住職のお数珠頂戴を頭にいただいた思い出は長野県。☆
明智光秀の城があった坂本では天下の奇祭、神輿を激しく揺り動かす日吉大社山王祭を見物、立錐の余地もない石畳で躓き将棋倒し額から出血、救急車で搬送され、絆創膏一枚だったのが滋賀県。☆
ヤマトタケルノミコトが景行天皇の命により東征の帰路に着いたが、足が3重に曲がるほど疲れたことに因んでつけたのが三重県。☆
東大寺のお水取りは罪を懺悔(ざんげ)する行事、二月堂の回廊を僧侶が松明を持ちまわる豪快な祭りを見物したのは奈良県。
南方熊楠(みなかたくまぐす)は植物学、菌類学、民俗学、天文学、鉱物学、宗教学など足跡を残し10数か国語を操る並外れた世界的人物の生まれし地は和歌山県御坊市、たまたまおられた親族の方としばし談笑。
京都は祇園祭の宵宮で応仁の乱以前に起源を持つ函谷鉾に観光客が乗ることが出来るイベントがありコンチキチンコンチキチンと囃す は京都。☆
千利休は正親町(おおぎまち)天皇から利休居士号(りきゅうこじごう)を賜り豊臣秀吉の茶頭(さどう)として仕えるも秀吉の勘気にふれ切腹を命じられた堺の利休の屋敷跡を訪ねるは大阪府堺。☆
古事記、日本書紀によれば国生みのおろころ島で契りを結び夫婦(めおと)になった伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二神は日本列島を次々に生み、その最初に生みし島が淡路島のある兵庫県。
ファッションデザイナーの森英恵さんの郷里六日市にある『むいかいち温泉』に浸かり、ロビーに一枚600万円の蝶柄のタペストリーが6枚飾ってあるのは島根県。
風紋、砂簾(されん)、砂柱(さちゅう)等砂丘独特の地形を有する山陰海岸国立公園に長男と足を踏み込んだのは鳥取県。☆
源平合戦で木曽義仲が牛にたいまつをつけ攻撃した逸話が残る俱利伽羅峠で平維盛(これもり)軍と戦い、木曽義仲が大勝した小谷部(おやべ)の古戦場は富山県。
岡山県吉備(きび)に伝わるは温羅(うら)伝説。 温羅は百済の皇子、吉備へとやってきて一帯を支配した一大勢力のドン、身丈は一丈四尺(4.2m)で乱暴狼藉をはたらく。 古事記では崇神(すじん)天皇がこれを苦慮して吉備津彦命(きびつのひこのみこと)を征伐のため派遣し首を刎ねはる。 温羅を成敗した吉備津彦命(きびつのひこのと)こそ、桃太郎伝説のモデル☆。
さて『しまなみ海道』をひた走り見えるは生口島(いくちじま)、近所の宮大工さんから見て来いと言われた国宝・三重塔は室町時代の代表的な建造物はを広島県。☆
第三代藩主・吉川広嘉(きっかわひろよし)は暴れ川の錦川に流れない橋を架けるよう橋脚のない甲斐の『猿橋(さるはし)』に着目し成したのは山口県は錦帯橋。
金毘羅舟舟、追手(おいて)に帆かけて、シュラシュラシュシュスと謳われし民謡で知られる金毘羅を参拝するは香川県。
流れの速さは日本一の鳴門海峡はイタリアの『メッシーナ海峡』、カナダの『セイモア海峡』と並ぶ世界三大潮流、鳴門海峡うずしお観潮船に乗るは徳島県。☆
『南国土佐を後にして』と歌うは坂本龍馬の出身地。
関ヶ原の戦いで功績のあった掛川城主、山内一豊が出世し転入、24万石の城主となる高知城を見上げるは高知県。
サラリーマン時代、営業で二トントラックで四国担当、松山の公衆温泉浴場で浸かり屋台のラーメンをすする丁稚奉公時代は愛媛県。
鎌倉時代、1241年、博多で疫病がはやり承天寺の静岡県栃沢出身の開祖・聖一国師を町民が担いだ施餓鬼棚に乗せ、水をかけながら町を清め、疫病退散を祈願して回ったことが起源という博多祇園祭は福岡県。
そして島原の乱、天草四郎が原城に籠り、対する幕府は老中松平信綱が九州の諸大名を指揮し城を攻落した歴史を残すは長崎県。
高千穂町中心部から岩戸川を遡ったところに天岩戸神社がありスサノオノミコトの乱暴狼藉に業を煮やしたアマテラスオオミカミが身を隠したとするは宮崎県。
769年の宇佐神託事件で、道鏡が天皇の座を狙い宇佐神宮から神託を受けたと画策した宇佐神宮を知ったのは大分県。
鍋島藩が豊臣秀吉公の命により朝鮮出兵し連れ帰った朝鮮の陶芸家たちを伊万里市大川内山に隔離、厳しく統制し関所を設け古伊万里を発展させたのが佐賀県。
赤穂事件で本懐を遂げた47士の赤穂義士の内、大石内蔵助をはじめ17人の義士が細川藩にお預けとなり遺髪が山鹿に納められたのは熊本県。 水戸岡鋭治氏の斬新なデザインで知られる九州新幹線の終点は鹿児島中央駅、隣接する観覧車から桜島の噴煙を望むは鹿児島県。
観光バスで戦跡を訪ねれば、米軍基地が全国の70%が集中しているとガイドさん、帰り際、本土に戻られたら、この犠牲を払っている現状を知らせてほしいとガイドさん、今でも耳に残るけなげに切なく訴える沖縄県。
もはや遠い昔の話でございますが『ふうてんの寅さん物語』の一席でございました。
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講談シリーズ 講談勉強会『名医と名優&黒田節の由来』
http://drss.exblog.jp/33308454/
2023-06-20T06:14:00+09:00
2023-06-21T07:24:06+09:00
2023-06-20T06:14:58+09:00
drss0123noborui
講談
演目は2席、『名医と名優&黒田節の由来』
30社位集まり誘ってくれた会長と社長も出席。
かって講談の師匠から『人前で勉強させてもらえなければ上達しない』と言われる。
講談『名医と名優』は恩義を受けた者が恩義を返す人情噺。
講談『黒田節の由来』は軽はずみな一言で足元がすくわれる武士の嗜みの話し。
体調が優れず咳が出る。
コロナではないかと事前に診察を受ける。
しかし喉がいがらっぽくなり連続的に咳が出る。
講談どころじゃなくなるリスクを抱える。
幸い講談中、咳はでなかった。
病院から出された薬と『喉スプレー』でしのいだ。
どうしたものかと案じたが二席をすます。
あらゆる分野の発表者は予約されているイベントを避けることが出来ず、体調不良を薄氷を踏む気持ちでその日を迎えているのだろうと忖度する。
無事終了し幸いだった。
プロフィールを紹介され客観的に自分を知ることもできた。
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ボランティアシリーズ サクラノキテラス『講談&琴&うたごえ』
http://drss.exblog.jp/33223883/
2023-04-24T06:00:00+09:00
2023-04-25T06:07:59+09:00
2023-04-24T06:00:56+09:00
drss0123noborui
講談
講談と琴の演奏、そしてうたごえ喫茶で参加者と琴の音色で懐かしのメロディーを歌う。
一期一会のボランティア。
ひと時を共に楽しむ。
講談は『太閤記と曾呂利』『赤垣源蔵穂利の別れ』『名医と名優』『黒田節の由来』
琴の楽曲は『千鳥』
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講談シリーズ 『講談で味わう 長田の詩情と家康の逸話』
http://drss.exblog.jp/32516701/
2022-11-20T04:52:00+09:00
2022-11-20T04:52:25+09:00
2022-11-19T18:47:35+09:00
drss0123noborui
講談
長田図書館開館25年記念プログラム。
講談仕立て『オーク長田誕生物語』と創作講談『長田歴史物語』を演じる。
コロナ感染予防で演者はセーフガードを装着する。
① 『長田歴史物語』
創作講談『長田歴史物語』の一席を申し上げます。 『駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に会わぬなりけり』 『駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも 人に会わぬなりけり』 古くから長田は旅人に愛され慕われてきた地域でございます。 平安時代前期の作品『伊勢物語』は『在原業平(ありわらのなりひら)』をモデルにした とされておりますが、この主人公の男、都に愛しい妻を残しての旅の道中、丁度駿河の国に来たところでございます。 宇津ノ山に入り、暗く細いツタやカエデが茂り、寂しい道に心細く思っておりましたところ、修行僧に出会い、都に残してきた愛しい妻のもとに届けてほしいと託します。 それが『駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に会わぬなりけり』でございまして、駿河の宇津の山近くまで来てしまって、「現実にも夢にもあなたにお目にかかれないことです」と詠っており、地名の宇津と現実を意 味する『うつつ』を読み込んだところ、なんとも見事でございます。 時代は移り室町時代、今川義忠に仕えた連歌師宗長が結んだ草庵が丸子の吐月峰柴屋寺でございまして、古くから月の名所、竹の寺ととして知られております。 宗長は駿河と京都を何度も往復した旅人でございましたが、念願かなって持つことが出来たのが柴屋寺、京都嵯峨より竹を移植せしめ、その喜びを句にいたしました。 『いく若葉(わかば)はやしはしめの園の竹』 『いく若葉(わかば)はやしはしめの園の竹』と詠み、草庵に植えた園の竹がこれからも幾年も幾年も若葉の夏を迎えるよと、柴屋寺が末永かれと祈り詠っております。 時は元禄4年、かの松尾芭蕉は丸子宿にて『梅若菜鞠子の宿のとろろ汁』 『梅若菜鞠子の宿のとろろ汁』 東海道は今まさに梅の花が盛りであり、若葉が萌えていよう。 それに何より丸子の宿の名物とろろ汁も旨いだろう、と詠っております。 十返舎一九は『東海道中膝栗毛』の丸子のシーンでとろろ汁を作中に取り入れ、ヤジさん、キタさんの軽妙なやり取りの一場面。 『ここはとろろ汁が名物だとか』 『そうよ、もしご亭主、とろろ汁はありやす か』 『はい、今できず』 『なに、できねんか』 『ハレじっきにこしらえずに、ちいとまちなさろ』 ここでは『できず』は『できる』 『食べず』は『食べる』というらしい。 このあと、茶屋の主人は急なお客を前に芋の皮もむかずにすりはじめ、主人は裏口にいる女房を大声で呼びますと、女房は子供を背負ってふてくされてた様子でやってきて『いま、弥太のばあさんと話してたっていうのに、なんだね、やかましい』 『やかましい、やかましいがどうした、早く 御膳を二人前用意しろ、ほれ前掛けを引きずってるぞ』 『おまえさん、洗った箸を知らんかい?』 『知ってるわけあるか、ほれ、その箸をよこせ』 『この洗ってない箸かい?』 『え❓箸で芋がすれるか、擂粉木だ・・・』 『おいおい、御膳に擂粉木をつけてどうする、こっちによこせと言ってるんだ、埒のあかねえかかあだな』 『おい、おまえさん、それじゃあ擂粉木が逆さまだ』 『ほっとけ、俺のことより自分を心配しろ、 のりが真っ黒こげだぞ』 『つべこべやかましい人だ』 『おい、すり鉢をおさえてくれ、これじゃすれねえぞ、手に負えないばか者だ』 『なに?おまえさんの方がばか者だ』 『なんだと、このあまァ』 主人が女房を擂粉木でポカンとなぐると、女房も『このやろう』と言って抵抗しすり鉢をとってなげる、その瞬間、すり鉢の中のとろろは四方に飛び散った。 『やりやがったなあ』 主人は擂粉木をもって追いかけようとするが、とろろに滑って転んでしまう。 『こんな野郎に負けてたまるか』 女房も亭主につかみかかるが、とろろ汁に滑ってこけてしまう。 すると向かいの家のおかみさんが何の騒ぎだと駆け込んできて 『やれやれ、また夫婦喧嘩かい、まあ沈まれ、静まりなさい』 おかみさんは二人をなだめようとするがへっぴり腰で、またもとろろに足を取られてしまう。 『こりゃあ、なんてこった』 三人とも体中とろろ汁だらけになりおおさわぎ。 ヤジさん、キタさん、おかしさをこらえて引き上げる。 『とんだ騒ぎだ、あのとろろ汁で一首詠みや した』 『けんかする夫婦は口をとがらせてトンビとろろに滑りこそすれ』 『けんかする夫婦は口をとがらせてトンビとろろに滑りこそすれ』と読んでおります。この十返舎一九『東海道中膝栗毛』の丸子の場面を思わせる浮世絵がございます。 天保三年(1832)、歌川広重が東海道の宿場風景を描いた『東海道五十三次』の中の20番目の丸子宿。 わらぶきの茶店の店先で二人連れの旅人が実にうまそうに名物のとろろ汁を食べている様子が目にに浮かびます。 詩情あふれる郷土長田をお楽しみいただければ幸いでございます。 『長田歴史物語』の一席、これにて読み終わりとさせていただきます。
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講談シリーズ 創作講談『徳川家康公偉人伝』
http://drss.exblog.jp/32453970/
2022-11-02T16:50:00+09:00
2022-11-03T07:44:05+09:00
2022-11-02T16:50:51+09:00
drss0123noborui
講談
老いてなお遊んでおります。 創作講談『徳川家康公偉人伝』の一席を申し上げます。 さて日本史を紐解けば縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、安土桃山時代、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和・平成・令和と続きます。 武家社会の台頭は平安時代の平治の乱。 その後、源平合戦で源頼朝の弟・義経が平家を壇ノ浦に追い詰め勝利。 爾来600年、徳川慶喜公の大政奉還まで武家社会は続いたのでございます。 江戸時代の初代征夷大将軍は徳川家康、2年後に早々と将軍職を秀忠に譲り、三代将軍は世は生まれながらにして将軍であると宣うは家光、そして家綱、五代将軍は犬公方綱吉、家宣、家継と続く、さらに暴れん坊将軍吉宗、続いて家重、家治、11代将軍は家斉、側室は40人以上、子供は53人と希有、その後は家定、家茂、最後の将軍は慶喜公で大政奉還となり260余年の栄枯盛衰をしのぶ。 来年1月に19代徳川家広氏が18代徳川恒孝氏から宗家を受け継ぐと伺う。 祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢の如し。 たけきものも遂には滅びぬ、ひとえに風の前の塵に同じと平家物語は語る。 織田信長は本能寺炎上の中、人間50年、下天のうちをくらぶれば、夢まぼろしのごとくなり。 ひとたび生を享け、滅せぬものの没せぬもののあるべきかと謡曲『敦盛』を舞う。 さて初代徳川家康公の出身地は岡崎、松平広忠の嫡男として岡崎城で誕生、幼少期は織田家、今川家の人質生活で艱難辛苦を味わう。 雌雄を決する関ヶ原の戦いで西軍に勝ち、徳川幕府を江戸に開く。 二年後将軍職を秀忠に譲り駿府ご入場。 使節団は駿府で大御所に表敬訪問をすませてから江戸に向かう。 享年75歳。 人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし。急ぐべからず。 不自由を常と思えば不足なし。 心に望みおこらば困窮したる時を思い出すべし。 堪忍は無事長久の基。 怒りは敵と思え。 勝つことばかり知りて、負くること知らざれば害その身に至る。 己を責めて人をせむるな。 及ばざるは過ぎたるより正れりと遺訓を残す。徳川家康公偉人伝の一席、これにて読み終わりといたします。
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講談シリーズ 沼津寄席『承久の乱』
http://drss.exblog.jp/32392166/
2022-10-16T07:13:00+09:00
2022-10-17T07:25:57+09:00
2022-10-16T07:13:08+09:00
drss0123noborui
講談
講談『承久の乱』を演じる。
承久の乱(じょうきゅうのらん)は、1221年(承久3年)に、後鳥羽上皇が鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げて敗れた兵乱。
承久の変、承久合戦ともいう。
上皇の院宣で討伐対象として挙げていたのは義時であったが、北条家は鎌倉幕府全体への攻撃であるとして東国御家人たちを動員することに成功。
その時、北条政子は御家人を前で演説。
皆、心を一つにしてお聞きなさい。
これは私の最後のことばです。源頼朝公が朝敵の平家を征伐し、鎌倉幕府を草創して以降、官位といい、俸禄といい、その恩はすでに山より高く、海よりも深いのです。恩に報いろうという志が浅くはないか。しかるに今、逆臣の讒言によって、道義に反した綸旨(天子の命令)がくだされた。名を惜しむ者は、早く藤原秀康・三浦胤義(讒言した逆臣)らを討ち取り、三代将軍の眠るこの鎌倉を守りなさい。但し、院側へ行きたい者は、只今申しでるとよい。この演説を聞いた御家人たちは涙を流し「戦う」と心を一つにし、すぐさま18の騎馬が出発したのです。
京都に攻め上って勝利した。
乱後、後鳥羽上皇は隠岐に配流され、鎌倉幕府は朝廷を監視する六波羅探題を京都に置いた。
建武の新政を除けば以降、明治維新まで600年以上に及ぶ朝廷に対する武家政権の優位を決定づけた画期となった。(ウイッキペデアより転載)
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講談シリーズ 創作講談『長田街道物語』
http://drss.exblog.jp/32060998/
2022-07-20T07:46:00+09:00
2022-07-20T13:02:15+09:00
2022-07-20T07:46:27+09:00
drss0123noborui
講談
老いてなお遊んでおるところでございます。 さて創作講談『長田街道物語』の一席を申し上げます。☆ 1889年、明治22年4月1日、町村制の施行により有渡郡広野村、青木村、大和田新田、石部村、用宗村、小坂村、上川原新田、東新田、下川原新田、丸子宿、鎌田村、寺田村、丸子新田、宇津ノ谷村、手越原村、安倍郡手越村、安倍郡向敷地村が合併して有渡郡長田村が発足しました。 明治29年、有渡郡から安倍郡に変更。 昭和9年、静岡市に編入。 平成17年、政令指定都市に移行し駿河区となりました。 長田図書館は平成9年開設、設立25周年を迎えられました。 誠におめでとうございます。☆ 実は50年前、長田南中学校の裏手に、二軒長屋のアパートに住んでいたことがあり、運動場の部活の生徒から『おばさん、雨が降って来たよ、洗濯物が濡れるよ』と声をかけられ、今でもその優しさが耳に残り、この度のご縁を嬉しく懐かしく感じている所でございます。☆その後、麻機に移り住み、地域おこしの『麻機村塾』を立ち上げ、70代に入り新しいことをやりたいと思い、田辺鶴遊講談道場に入門、創作講談『麻機街道物語』を演じていましたところ、館長さんからお声がけいただいた次第でございます。☆ さて長田地区は南は用宗海岸、北は柴屋寺、東は安倍川、西は丸子と歴史とロマンあふれるところでございます。☆ 古代史を紐解けば日本武尊が東征の折り敵と遭遇し満観峰近くにある穴地蔵に隠れたという伝説が残っております。☆ 平安時代前期に書かれたの文学作品『伊勢物語』は『在原業平』をモデルにしたとされ、主人公は宇津ノ山に入ろうとしたとき、暗く細いツタやカエデが茂り、寂しい道に心細くなり、すれ違った修行僧に京の人に手紙を託し『駿河なる宇津の山辺のうつつにも夢にも人に会わぬなりけり』と詠んだとされています。 時代は移り室町時代、今川義忠に仕えた連歌師宗長が結んだ草庵が柴屋寺で、雅号は吐月峰、月を吐くというお洒落なネーミング。 宗長が永正9年2月、宇治の山畑から茶の実を持ち帰り詠んだ一句。 『山しろの宇治の香りに堪え難し、種をまきおく、芝の山畑』 『山しろの宇治の香りに堪え難し、種をまきおく、芝の山畑』 庭園は国指定の史跡及び名勝に指定されています。☆ さらに用宗には今川水軍の用宗城があり武田に敗れ、後に家康公が所有後廃城になりますが見晴らしのよい場所と聞き及んでいます。 安土桃山時代、豊臣秀吉に仕え、静ヶ岳七本槍のひとり、片桐且元は秀頼の後見となり家康公との交渉役を命じられ、駿府に下向するも誓願寺に留め置かれ、さらに淀君から内通を疑われ豊臣家から離反いたしました。 苦悩する片桐且元の悲痛な思いが誓願寺に伝えられています。☆ さて徳川時代、家康公は鷹狩がお好きなよう で用宗の海岸通りにお茶屋敷があり休憩したようございます。 麻機街道にも同様の鷹狩の休憩所があり麻機御殿という名前が言い伝えられています。☆ また家康公は宇津ノ谷峠に秀吉が下賜したお羽織を見物し、この家に茶碗を寄贈したと聞き及んでいます。 時は元禄時代、芭蕉は東海道53次の20番目の宿場の丸子宿で『梅若菜鞠子の宿のとろろ汁』 『梅若菜鞠子の宿のとろろ汁』と詠っております。 そして十返舎一九は『東海道中膝栗毛』の丸子のシーンでとろろ汁を作中に取り入れ、弥次喜多の北八さんと弥二さんの軽妙なやり取りの一場面。 『ここはとろろ汁が名物だとか』 『そうよ、もしご亭主、とろろ汁はありやすか』 『はい、今できず』 『なに、できねんか』 『ハレじっきにこしらえずに、ちいとまちなさろ』 亭主は芋の皮も剥かないで摺りはじめる。 ここでは『できず』は『できる』 『食べず』は『食べる』というらしい。 この後、すりこ木で殴ったりの夫婦げんかで、果ては仲裁役もとろろ汁にまみれ、呆れた様子を一句にいたしました。 『けんかする夫婦は口をとがらせてトンビとろろに滑りこそすれ』 『けんかする夫婦は口をとがらせてトンビとろろに滑りこそすれ』読んでおります。 歌川広重も『東海道五十三次・丸子』の絵を 描いております。 さて長田地区では『長田の桃』と『用宗のシラス』が欠かせません。 『長田の桃』は静岡の温暖な気候風土と、砂地で水はけも良く、明治時代から盛んにおこなわれジューシーで濃厚な味で知られる伝統的な桃の産地であります。☆ 『シラス』は、用宗漁港で水揚げされカタクチイワシの稚魚であります。 駿河湾の豊富なプランクトンを餌に良質なシラスの漁場として知られています。こうして見ますと長田地区は日本史との関わりが深く魅力あふれるわが郷土であります。 どうぞ長田地区の歴史と自然とロマンを掘り起こしお楽しみいただければ幸いでございます。 『長田街道物語』の一席、これにて読み終わりにさせていただきます。]]>
講談シリーズ 『釈台のプレゼント』
http://drss.exblog.jp/31863271/
2022-06-22T07:28:00+09:00
2022-06-22T08:18:59+09:00
2022-06-22T07:28:23+09:00
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講談
手作りの『釈台』で工数をかけDIYしてくる。
秋に地域の図書館で館長さんから25周年記念行事で地区の『ご当地講談』のオファーがあり、以前から持ち運びできる組み立て式の釈台が欲しかったので感謝。
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講談シリーズ 『喜びも悲しみも幾歳月』リニュアル版
http://drss.exblog.jp/31808093/
2022-06-17T07:46:00+09:00
2022-06-17T12:38:50+09:00
2022-06-17T07:46:23+09:00
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講談
少年時代、西行法師が東大寺再興勧進ため通過した神奈川県藤沢市辻堂に住む。 最寄り駅は東海道本線辻堂駅、当時はさびれた町。 住んでいた地名は『熊の森』、そこには西行法師の石碑があり『柴まとふ葛のしげみに妻こめて砥上ヶ原に牡鹿なくな里』『柴まとふ葛のしげみに妻こめて砥上ヶ原に牡鹿なくな里』と恋しく詠う。 葛に柴をまとう寂し気な旅路のしげみに佇み妻を想い、女鹿の鳴き声が恋しいと嘆く。 子供の頃、進駐軍が茅ヶ崎の烏帽子岩に艦砲射撃訓練をしての帰り道、『ギブ・ミー・キャンデー』『ギブ・ミー・キャンデー』と叫び兵隊がキャンデーをジープから投げてくれ拾ったことも懐かしい。 さびれた町も今やテラスモール湘南という巨大なショッピングセンターに様変わり、以前は電車の車輪を作るメーカー、親父が勤めていた所。 辻堂駅から引込線があり工場に直接貨車が入り機関車に乗せてもらった思い出がある。 父の職場の経理部の金庫は天井まであり中に人が何人も入れる大きさ、金庫の中で遊んだ記憶も今は昔。 辻堂小学校の同窓に『喝采』のちあきなおみさん、明治中学校では元SNAPの中居正広さんが同窓生。 プラットホームで近くに住む大島渚監督の妻の女優、小山明子さんをグリーン車の停車位置で待つ凛とした姿を見かけたこも忘れない。 ジョンレノンの奥さん、オノ・ヨーコさんの実家が当時辻堂にあり、タクシーの運転手さんの話ではジョン・レノンさんを辻堂駅で見かけたと聞く。 学生時代から資格で飯を食おうと思い続け、その中にはお金が続かず挫折したセスナ機の操縦訓練許可証を取得、大泉飛行場で訓練したのも懐かしい思い出。 他に衛生管理者、労務管理講習修了証、労務管理士、ガス溶接技能講習修了証、防火管理者、乙類危険物取扱責任者、玉掛技能講習終了証、毒物劇物取締責任者、クレーン運転特別教育修了証、特定化学物質作業主任者、安全管理者、合成樹脂製品職業訓練指導員、化学分析職業訓練指導員、応用心理学通信教育課程修了証、ヘルスリスナー、赤十字救急法救急員、赤十字救急法普通科講習修了証、心理相談員、消費生活アドバイザー修了証、DIYアドバイザー証、消費生活アドバイザー証書、電話級アマチュア無線技士、英語検定2級、ボーイスカウトデンマザー研修会修了証、発明講習終了証、ボーイスカウト団委員研修会修了証、ワープロ上級ライセンス、石道観山流師範中伝、品質システム審査員登録証明書、環境マネージメント審査員登録証等31以上の資格を見通しもなくやたらに取得。 ようやく飯が食えるISO環境審査員の資格に辿り着く。 資格取得マインドを諦めなくてよかった。 サラリーマン時代、尋常小学校卒の創業社長は幹部社員に、いつまでも人に使われていてはだめだ。 私は7歳の時に気がついた。 君たちはまだ気がついていないと壇上から役員、部課長にお説教。 本社ではISOプロジェクトリーダーとして10年以上関わり、ISO認証取得に失敗したら工場へ左遷させると脅かされ崖っぷち。 片道切符の出向辞令を受け『招かざる客』としてマザー工場を皮切りに四工場、11事業所のISO9001及びISO14001認証並びに拡大もすませ、会社沿革年表に記載され、まあよしとするか。最後は本社品質保証部長、役職定年で降格、無役(むやく)、賞味期限が切れる。 ピンチはチャンス、ISO審査員資格でコンサルティング業を目指す。 井上ISOコンサルティングを立ち上げる。 勤めていた会社は二足の草鞋を許してくれ在籍しながら自営業が成り立つまでバックアップをしてくれる。 ありえない。 オーナーの恩は忘れない。 捨てる神あり、拾う神あり。 自営業に転身してから10数年、ISOに関わり全国津々浦々約500社の審査をさせてもらい顧客からクレームがなかったのは奇跡。 所詮浅学非才の身、先生と言われ思い上がるは最大のリスク、修行の場にもなった。 古希を過ぎ、全国を渡り歩くのも切なく、ここが潮時と察しリタイア、審査機関から思いもかけなかった感謝状。後期高齢者となり、可能な限り、人生をマルチでトライ。.井上ISOコンサルティング、JQA審査員、青葉ライオンズクラブ、NACS代議員、行政環境審議委員、製品安全協会SGマークマニュアル委員、大道芸ワールドカップ審査員等愉しむ。今は小さな鉢に大きな大自然を作るロックアート作家、雅号は井上聖山、数年前『平野ノラさん』や『朝倉さやさん』がテレビ番組の取材で来宅し富士山のロックアートをつくる。 また田辺鶴遊講談道場に通い講談を愉しむ。 芸名は井上老遊、老いをあそぶ。 俳句はリモート投句、俳号は井上遊水。 『伊藤園おーいお茶新俳句大賞』で佳作入選。 『初孫に ジイと呼ばれて 春隣』『初孫にジイと呼ばれて 春隣』 『仕事』と『地域』と『家庭』と『個人』の4つのバランス人生をモットーに曲がりなりにも達成。 さらなる目標は一芸一能士会を立ち上げて10年、『自分が主人公になる生涯現役型人生』を促す取りみをしたいと願っている今日この頃、鶏口となるも牛後になるなかれ、たかが我人生、されど我人生、喜びも悲しみも幾歳月の一席。 これにて読み終わりと致します。
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漫画シリーズ 講談絵本『曲垣平九郎』
http://drss.exblog.jp/30972144/
2022-02-03T06:03:00+09:00
2022-02-03T07:54:10+09:00
2022-02-03T06:03:05+09:00
drss0123noborui
講談
講談絵本があることに驚き。
『曲垣平九郎 出世の石段』
徳川家光公の時代、愛宕神社の一直線の階段で馬術を競わせる。
愛宕神社の梅の小枝を持ち帰ろと命じる。
競った一人が馬術指南役の『曲垣平九郎』
他の二人が脱落するも『曲垣平九郎』は馬に恐怖心を与えず握り飯を与え励まし、勇気を奮い遂に乗りあがり愛宕神社境内の梅の小枝をゲット。
家光公よりご紋刀を賜るという物語。
講談にマンガ本があることをはじめて知る。
他にも探してみたい。
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講談シリーズ 創作講談『日本列島膝栗毛』Part 7 『沖縄』
http://drss.exblog.jp/30971113/
2022-02-02T08:28:00+09:00
2022-02-02T08:30:09+09:00
2022-02-02T08:28:34+09:00
drss0123noborui
講談
環境国際規格審査員として全国を旅し、徒然の一コマを語る。
旅の一コマを誕生日プレゼントとして『イラスト&文章』にしてくれる。
Part7『沖縄』
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講談シリーズ 創作講談『日本列島膝栗毛』Part 6 『熊本・鹿児島』
http://drss.exblog.jp/30971106/
2022-02-02T08:22:00+09:00
2022-02-02T08:24:35+09:00
2022-02-02T08:22:54+09:00
drss0123noborui
講談
環境国際規格審査員として全国を旅し、徒然の一コマを語る。
旅の一コマを誕生日プレゼントとして『イラスト&文章』にしてくれる。
Part6『熊本・鹿児島』
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講談シリーズ 創作講談『日本列島膝栗毛』Part 5 『東京・神奈川・大分‣佐賀』
http://drss.exblog.jp/30968562/
2022-01-31T09:09:00+09:00
2022-01-31T12:49:49+09:00
2022-01-31T09:09:17+09:00
drss0123noborui
講談
環境国際規格審査員として全国を旅し、徒然の一コマを語る。
旅の一コマを誕生日プレゼントとして『イラスト&文章』にしてくれる。
Part5『東京・神奈川・大分・佐賀』
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講談シリーズ 創作講談『日本列島膝栗毛』Part 4『群馬・千葉』
http://drss.exblog.jp/30968536/
2022-01-31T08:35:00+09:00
2022-01-31T08:48:35+09:00
2022-01-31T08:35:42+09:00
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講談
環境国際規格審査員として全国を旅し、徒然の一コマを語る。
旅の一コマを誕生日プレゼントとして『イラスト&文章』にしてくれる。
Part4『群馬・千葉・茨城』
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講談シリーズ 創作講談『日本列島膝栗毛』Part 3『宮城・福島・栃木』
http://drss.exblog.jp/30968463/
2022-01-31T07:12:00+09:00
2022-01-31T08:38:01+09:00
2022-01-31T07:12:29+09:00
drss0123noborui
講談
環境国際規格審査員として全国を旅し、徒然の一コマを語る。
旅の一コマを誕生日プレゼントとして『イラスト&文章』にしてくれる。
Part3『宮城・福島・栃木』
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