井上登の80代人生論 ~ 仕事・地域・家庭・個人、4つのバランス人生:仏像
2023-02-15T06:29:49+09:00
drss0123noborui
ライフワーク『ライフ・マネジメント・システム(LMS)』 履歴【井上ISOコンサルティング、JQA/ISO審査員、NACS代議員、青葉LC、行政環境審議委員、製品安全協会(SGマーク)マニュアル委員、大道芸ワールドカップ審査委員、シルバー・サポーター 趣味【ロックアート(石芸)、講談、俳句】取材/講演等のご依頼などは、drss0123noborui@ybb.ne.jp までお願いします。
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仏像シリーズ 網代『毘沙門天象』
http://drss.exblog.jp/31333996/
2022-05-06T21:05:00+09:00
2022-05-06T21:56:38+09:00
2022-05-06T21:05:20+09:00
drss0123noborui
仏像
熱海市下多賀の小山毘沙門堂で1月3日朝、「毘沙門天王像」がご開帳されるという。
毘沙門天(びしゃもんてん)は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王の一尊に数えられる武神。(ウイキペディアより転載)
毘沙門天像は鎌倉時代を代表する仏師運慶の作と伝えられる像で、ご開帳は年に1回、大祭が開かれる1月3日朝の1時間だけ。
午前5時半、富西寺の小野歓芳住職の読経とともに御簾(みす)が上げられと、右手に戟(げき)、左手に五重塔を持つ威厳と尊厳を兼ね備えた立像が現れ、参詣者たちは手を合わせ、家内安全、商売繁盛などを祈願。(熱海ネット新聞より転載)
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仏像シリーズ 『涅槃像』
http://drss.exblog.jp/31002142/
2022-02-19T05:50:00+09:00
2022-02-19T05:54:56+09:00
2022-02-19T05:50:11+09:00
drss0123noborui
仏像
臨済宗妙心寺派。
昼間より輝いて見える。
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仏像シリーズ 念持仏『念持仏の善光寺式阿弥陀三尊』
http://drss.exblog.jp/30026730/
2020-04-29T07:44:00+09:00
2020-04-29T16:04:53+09:00
2020-04-29T07:44:53+09:00
drss0123noborui
仏像
持ち歩いていた善光寺式阿弥陀三尊の置き場所を考え、石の器に水を張り中央に置き両側に蝋燭を立て灯す。
善光寺式阿弥陀三尊は、蘇我氏と物部氏によるの崇仏廃仏論争の対象となった、日本初伝の仏像と言われる信州善光寺の秘伝の本尊を模した阿弥陀三尊像で、鎌倉時代以降に盛んに制作されている。
中尊は阿弥陀如来、両脇侍の観音菩薩・勢至菩薩で、3体とも立像。(ウィキペディアより転載)
因みによく描かれる富士山の山頂の三峰は阿弥陀如来、薬師如来、大日如来の三尊形式。
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仏像シリーズ パキスタン・ガンダーラ美術展『釈迦苦行像』
http://drss.exblog.jp/29666756/
2019-10-02T09:08:00+09:00
2019-10-02T11:19:07+09:00
2019-10-02T09:08:02+09:00
drss0123noborui
仏像
家人からも見ているのと問われ歯切れが悪い。
最近、日本史と世界史に興味を持ち、パキスタン・ガンダーラ美術展(1984年)のカタログをひらく。
この美術展の一番の売りは3-4世紀ごろの『釈迦苦行像』
苦行像はインドでは馴染みがないがパキスタン・ガンダーラでは苦しみに耐え抜く釈迦(石像)をあらわす。
ガンダーラ美術では仏陀と仏教の教えをたたえるを第一の目的にしているが、ギリシャとローマの特徴を兼ね備えた混合様式を生み出したという。
仏教の成立後マケドニアのアレクサンドロス大王は遠征でインダス川まで到達しており東西文化の融合が可能となった。
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和歌山県名田シリーズ 『お首さん』といわれる『御首地蔵尊』
http://drss.exblog.jp/27879845/
2017-12-20T05:49:00+09:00
2023-02-15T06:29:49+09:00
2017-12-20T05:49:38+09:00
drss0123noborui
仏像
野島の旧国道沿いに『御首地蔵尊』の案内がある。
地元では、「お首さん」と呼ばれている。
御坊市名田町野島 海見山観音寺において行われる。
お首が発見された4月13日に行われていたが、最近は4月の第三日曜日である。
お首地蔵尊は天保10年ごろ、この地に住む吉平が、小山の地(壁崎)を開墾中に一基の石棺を掘り当てた。
石棺の隙間は粘土で固く密封してあり、その石蓋を開けたところ、底には小石を敷き詰め、板石を置き、その上に髪は首まで垂れ、耳、鼻の形もそのままで、生けるが如きミイラ化した古い武士の首が現れた。
吉平は、腰も抜かさんばかりに驚き、大声を挙げて、村人を呼び集め、このお首様を丁重に壷に納めて、観音寺の境内にある、「柏槇」の木の元に安置した。
その後、お首さんを拝む者が皆、首から上の病気が平癒する旨、観音寺境内の延命地蔵尊と合祀して、御首地蔵尊としたのである。
このお首さんは誰なのだろうか、有間皇子の事変に関係ある人か、また戦国時代に南塩屋で合戦した際の武将の首ではと、いずれにせよ、尋常の死ではないことは確かだ。
決して眠っていなかったお首が再び、この世に出る事が出来、しかもお首地蔵尊としてあがめられる感激が、人々の願いを満足させている。(和歌山県ふるさとアーカイブより転載)
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静岡県袋井シリーズ 可睡斎のトイレの神様
http://drss.exblog.jp/18462265/
2017-08-25T15:39:00+09:00
2020-11-01T16:36:11+09:00
2012-06-19T08:03:27+09:00
drss0123noborui
仏像
可睡斎の大東司(トイレ)にはトイレの神様がいる。
高村晴雲作の『烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)』
功徳としては便所の清めがある。
植村花菜さんの『トイレの神様』の楽曲を思い出す。
便所は古くから「怨霊や悪魔の出入口」と考える思想があったことから、現実的に不潔な場所であり怨霊の侵入箇所でもあった便所を、烏枢沙摩明王の炎の功徳によって清浄な場所に変えるという信仰が広まり今に伝わっている。
静岡市の洞慶院のトイレにも『烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)』が祀られている。
呪文を唱え『おまたぎ』の便器にまたがると下の病気にならないという。
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仏像シリーズ 日曜美術館『円空仏』
http://drss.exblog.jp/26508175/
2016-12-28T05:40:00+09:00
2020-05-02T09:05:27+09:00
2016-12-27T19:30:48+09:00
drss0123noborui
仏像
円空は、江戸時代前期の修験僧(廻国僧)・仏師・歌人。
特に、全国に「円空仏」と呼ばれる独特の作風を持った木彫りの仏像を残したことで知られる。
円空は一説に生涯に約12万体の仏像を彫ったと推定され、現在までに約5,300体以上の像が発見されている。
円空仏は全国に所在し、北は北海道・青森、南は三重県、奈良県までおよぶ。
多くは寺社、個人所蔵がほとんどである。
その中でも、岐阜県、愛知県をはじめとする各地には、円空の作品と伝えられる木彫りの仏像が数多く残されている。
その内愛知県内で3,000体以上、岐阜県内で1,000体以上を数える。
また、北海道、東北に残るものは初期像が多く、岐阜県飛騨地方には後期像が多い。
円空仏はデザインが簡素化されており、ゴツゴツとした野性味に溢れながらも不可思議な微笑をたたえていることが特徴で、一刀彫という独特の彫りが円空仏の個性を引き立てている。
一刀彫というのは鉈一本で彫り出した事に由来するが、実際には多数の彫刻刀によって丹念に彫られており、鉈で荒削りで彫ったに過ぎないというのはただの宣伝である。
円空としては民衆が気軽に拝める、現代で言えば量産型の仏像として製作し、野に置かれる事を望んでいたのだが、そのデザインが芸術的に高く評価されたため、大寺院で秘仏扱いされる事もあった。(ウイキペディアより転載)
荒削りながら素朴な笑みのある仏の顔が刻まれ共感を呼ぶ。
静岡でも数体あり、近畿や東海から北海道まで円空仏が存在する。
郷土史家と安置されている円空仏を見た覚えがある。
全国に旅し足跡を残している人物として空海も仏像を残している。
また作庭では作事奉行 小堀遠州も全国的に足跡を残す。
当時、交通手段も限られているなか、全国的に実績を残すことは並々ならぬ生き様と知る。
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静岡県岡部シリーズ 小園の地蔵尊を見る
http://drss.exblog.jp/25605246/
2016-04-01T06:07:00+09:00
2020-05-02T05:25:28+09:00
2016-04-01T06:06:28+09:00
drss0123noborui
仏像
岡部の山間の小園に小さなお堂があり地蔵尊が祀ってある。
小園橋から県道209号を歩いて15分位登ったところに駿河一国百地蔵の第18番延命地蔵尊として知られる。
お堂の前の小さな場所でシートを敷きランチ。
そこの地蔵尊に歌が残る。
『ひとすじに もらさで すくふ ぐあん(願)なれど すくいたまえや 南無地蔵尊』とある。
仏にすがる気持ちが伝わる。
画像は『岡部だより』より転載
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静岡県川根シリーズ 川根大仏を訪ねる
http://drss.exblog.jp/25377924/
2016-02-21T06:15:00+09:00
2020-04-28T20:13:25+09:00
2016-02-21T06:15:08+09:00
drss0123noborui
仏像
川根までは新東名ルート、バイパスルート、山間ルートがあるようで、どのルートがベターか試す。
今回は牧谷から上がる山間のルート。
舗装されているが途中すれ違いが困難な場所もある。
もやがかかり峠付近の美しさは抜群。
川根本町に着き、千葉山智満寺の案内板を見つける。
荘厳な佇まいで一見の価値あり。
千葉山智満寺は今から千年ほど前の、平安時代に創建されたと伝えられ、山号は千葉山、寺号を智満寺、千手観音菩薩像を本尊。
延享2年(1745年)の大火により、多くの堂宇を焼失したが、第十三世一音法牛禅師により伽藍が再建され、現在の姿となったと伝わる。
この一音法牛禅師は、村を火事から 守ると遺言され、以来、二百数十年にわたって一件の火災も起きず、今も火災からの守り神として敬慕。(「火防大師一音さん」の伝説)
5千坪におよぶ智満寺の境内には、町の文化財に指定されている千手観音菩薩、阿弥陀如来像、山門など、多くの仏像や常設の絵画などが展示。
また川根大仏があり総丈6.5メートル、総重量150トンの石仏。世のすべての平和を願い、人権尊重と環境保護を念じ、西暦2000年に建立。
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静岡県静岡シリーズ 『松野阿弥陀堂』の木造阿弥陀如来坐像を見る
http://drss.exblog.jp/24396486/
2015-04-24T05:51:00+09:00
2020-07-22T14:48:32+09:00
2015-04-24T05:51:59+09:00
drss0123noborui
仏像
静岡県静岡市葵区にある松野阿弥陀堂の木造阿弥陀如来坐像がある。
平安時代後期の丈六座像。
高さが3m近い桧(ヒノキ)で作られた巨像。
新緑の山間の茶畑に佇む巨大な仏像が映える。
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仏像シリーズ 仏像の分類
http://drss.exblog.jp/23915896/
2014-12-23T16:45:00+09:00
2014-12-23T16:49:20+09:00
2014-12-23T16:45:27+09:00
drss0123noborui
仏像
調べてみると仏は大きく分けると4種類となる。
先ず『如来』は苦行して悟りを開いた釈迦の姿を描いたものとされる。
『如来』には『釈迦如来』、『薬師如来』、『阿弥陀如来』、『大日如来』等がある。
次に『菩薩』は釈迦の若いころ悟りを求める姿を描き、『千手観音菩薩』、『虚空蔵菩薩』、『弥勒菩薩』、『十一面観音菩薩』、『不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)菩薩』等がある。
次に『明王』は菩薩と同じく釈迦の若いころの武勇に優れた勇ましい姿を描き、『孔雀明王』、『愛染明王』、『不動明王』、『金剛夜叉明王』等がある。
最後に『天部』は如来、菩薩、明王といった仏を守っている神々で、『持国天』、『増長天』、『広目天』、『多聞天』、『吉祥天』、『弁才天』等がある。
因みに東を守る『持国天』、南を守る『増長天』、西を守る『広目天』、北を守る『多聞天』を四天王という。
長年生きているがろくに知らないことが分かる。]]>
静岡県函南シリーズ 函南の仏の里美術館を訪ねる
http://drss.exblog.jp/23341600/
2014-09-08T11:44:00+09:00
2020-11-20T13:19:54+09:00
2014-09-08T11:44:06+09:00
drss0123noborui
仏像
函南の仏の里美術館を訪ねる。
説明によれば函南町桑原区では、平安時代の「薬師如来像」や鎌倉時代の「阿弥陀三尊像」など、二十四体の仏像群が、里人の厚い信仰心によって守られてきた。
これら仏像群の散逸を防ぎ、後世に保存継承していくための施設として、明治30年代後半に桑原の有志により、長源寺の裏山中腹に「桑原薬師堂」が建立。
2008年(平成20年3月)に桑原薬師堂の二十四体の仏像群が、桑原区から函南町に寄付される。
寄付された仏像群には、国指定重要文化財の阿弥陀如来及両脇侍像(略称・阿弥陀三尊像)の他に、静岡県指定有形文化財(薬師如来坐像、毘沙門天立像、聖観音立像、地蔵菩薩立像、十二神将立像)があり、その中にも全国的に貴重な文化財が含まれる。
町民の財産である貴重な文化財を、後世に保存継承するとともに、多くの方々が鑑賞し、学ぶことができる施設として「かんなみ仏の里美術館」が設置される。
箱根山縁起并序には、桑原・小筥根山新光寺という七堂伽藍をもつ大寺が建立された(弘仁8年・817年)という記載があり、桑原では薬師如来像はこの新光寺の本尊であったと伝えられる。
また「阿弥陀三尊像」は、『吾妻鏡』に石橋山合戦で戦死した北条宗時(北条時政の嫡男)の墳墓堂が伊豆国桑原郷にあったことが記されていることなどから、源頼朝の舅・時政が、戦死した息子の慰霊のために、慶派の仏師・実慶に造像させたと考えられている。
桑原区では、そのような伝承のある平安時代の「薬師如来像」や鎌倉時代の「阿弥陀三尊像」など、二十四体の仏像群が、里人の厚い信仰心に支えられながら守られてきたという。
これらの仏像を守ってこられた住職さんのご苦労と波乱万丈の歴史が偲ばれる。
ここの公民館で蕎麦をいただく。
縮れている蕎麦で腰があり、作り方に特徴があるようだ。
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静岡県岡部シリーズ 全国にある木喰上人の笑み仏像
http://drss.exblog.jp/21753125/
2013-12-30T08:24:00+09:00
2020-09-11T05:37:17+09:00
2013-12-30T08:24:20+09:00
drss0123noborui
仏像
日本全国におびただしい数の遺作が残る。
岡部・藤枝・焼津にも逗留し、「木喰仏」(もくじきぶつ)を残している。
麻機村塾主催の史跡めぐりに参加し、木喰上人の仏像彫刻に出会う。
特定の寺院や宗派に属さず、全国を遍歴して修業した仏教者を行者あるいは遊行僧(ゆぎょうそう)などと称したが、木喰はこうした遊行僧の典型であり、日本全国を旅し、訪れた先に一木造の仏像を刻んで奉納した。
木喰の作風は伝統的な仏像彫刻とは全く異なった様式を示し、ノミの跡も生々しい型破りなものであるが、無駄を省いた簡潔な造形の中に深い宗教的感情が表現されており、大胆なデフォルメには現代彫刻を思わせる斬新さがある。
日本各地に仏像を残した遊行僧としては、木喰より1世紀ほど前の時代に活動した円空がよく知られるが、円空の荒削りで野性的な作風に比べると、木喰の仏像は微笑を浮かべた温和なものが多いのも特色である。(ウイッキペディアより転載)
日本全国を廻国修行しながら、1000体の仏を彫る「千体仏彫像の祈願」さらには「二千体仏彫像の大願」を立てた木喰上人。
93歳までの行脚のなかで、大井川を越えて藤枝に入ったのは寛政12年6月、83歳の夏。
その後、岡部町桂島を出立するまでの2カ月にわたり岡部・藤枝・焼津に逗留し、12体の木喰仏を残しました。
この時期の作風の特徴は静かに語りかけるような優しい微笑。
特に十輪寺の子安地蔵菩薩立像と光泰寺の聖徳太子像は多くの木喰仏のなかでも高い評価を受けている傑作。
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読書シリーズ 『クイズ入門 日本の仏像』
http://drss.exblog.jp/19784933/
2013-01-05T08:09:00+09:00
2013-01-05T08:18:52+09:00
2013-01-05T08:09:00+09:00
drss0123noborui
仏像
仏像に関する本を見るが、系統的な解説が私には難しく、なかなか記憶に残らない。
この本は分かりやすい。
悟りを開いた仏様に釈迦如来と阿弥陀如来がある。
釈迦如来は両手を開いているが、阿弥陀如来はOKのサインをしている。
薬師如来は薬瓶を持ち、大日如来は人差し指を片方の手で握っている。
絵で解説していて、覚えておくと寺院を訪ねた時など識別しやすい。
ところでお釈迦さまと阿弥陀さまの違いがよく分からない。
上下関係か、それとも実在したのか、創りだしたのか。
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六道について知る
http://drss.exblog.jp/15694900/
2011-06-05T09:50:00+09:00
2015-01-24T05:31:24+09:00
2011-06-05T09:43:37+09:00
drss0123noborui
仏像
円応寺には運慶作と伝えられている閻魔大王があり、十王像が見られる。
十王像は地獄の裁判官、人は死ぬと六道、つまり天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄の六段階に分かれ、生前の行いにより決定し7の付く日に裁かれるそうです。
ダンテの神曲でダンテが地獄、煉獄、天国と彼岸の国を遍歴して回り、神の審判を受ける様子を知る詩にどこか共通することを知る。
初七日の秦広王は人の一生を巻物にして見ます。いわゆる書類審査。
二七日の初江王は、三途の川を善人には浅瀬を、悪人には深瀬を渡らせる。
向こう岸に奪衣婆(だつえば)さん(堂内に陳列)が待っていて、川を渡って来た人の服を木の枝に掛けさせて、この枝のしなり方により判定。
三七日は宋帝王で邪淫(じゃいん) の罪を、平たく言うと浮気とか不倫とかの男女の不正関係を審査する。
四七日は五官王で愚痴ぼやき等の妄言を裁く。
そして五七日に最初の判決を下すのが閻魔様。
六七日は変成王で再審をして罪の軽い人を少しでも救うようにする。
七七日の四十九日に泰山王が人の生前の功罪に対して最終判決をする。
次に生前に親交のあった家族や友人が法要し
百ヶ日の裁きは平等王、卒哭忌(そつこくき)」ともいわれ、泣くことをやめ悲しみに区切りをつける日
一周忌の裁きは都市王、
三回忌の裁きは五道転輪王がその時にその人の隠れた長所を伝えるという。(近ちゃんギャラリーより転載)]]>
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