井上登のブログ ~60歳からの人生の愉しみ方~静岡スペシャリスト機構
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井上ISOコンサルティング、静岡スペシャリスト機構(LLP)を運営すると共に、仕事と地域と家庭と個人の4つのバランス人生を愉しむ、 趣味はミニチュア日本庭園( http://blog.livedoor.jp/noboru0123/)
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読書シリーズ 小林吉弥著『田中角栄流』
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2012-05
-24 17:53 ]
久能山東照宮シリーズ 久能山東照宮に後水尾天皇のご真筆
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2012-04
-30 09:28 ]
久能山東照宮シリーズ 徳川家康38歳の手形を見る
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2012-04
-30 09:15 ]
淡路島シリーズ 『淡路廃帝』の淳仁天皇を知る
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2012-03
-24 10:41 ]
淡路島シリーズ 津名町に何故か『静御前』の墓石
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2012-03
-24 10:01 ]
読書シリーズ 童門冬二著『小早川隆景』
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2012-03
-06 10:42 ]
読書シリーズ 鈴木輝一郎著『本願寺顕如』
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2012-03
-06 08:05 ]
読書シリーズ 中田宏著『政治家の殺し方』
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福岡県小倉シリーズ 松本清張記念館を訪ねる
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2012-02
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福岡県小倉シリーズ 森鴎外の旧居を訪ねる
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読書シリーズ 小林吉弥著『田中角栄流』
小林吉弥著『田中角栄流』は人間学を学ぶ上で面白い。
田中角栄さんに関する著書は今までも読むことがある。
人間を見る目が鋭い。
目で相手を峻別するという。
田中真紀子さんが父親から教えられた言葉として『相手の目を見て話せ』と『同じ話を二度繰り返す人物に注意せよ』だという。
また金 正日(キム・ジョンイル)は宴会の席で『一度も酌に来ない人物と、二度も酌に来る人物を知らせよ』と命じていたという。
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drss0123noborui
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2012-05-24 17:53
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久能山東照宮シリーズ 久能山東照宮に後水尾天皇のご真筆
久能山東照宮を友人と訪ねる。
徳川家康の久能山東照宮の楼門前面に後水尾天皇御真筆の「東照大権現」の額が掲げてある。
勅額御門ともいう。
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drss0123noborui
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2012-04-30 09:28
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久能山東照宮シリーズ 徳川家康38歳の手形を見る
国宝になった久能山東照宮に友人と行く。
境内に徳川家康の38歳の時の手形がある。
身長は155㎝という。
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drss0123noborui
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2012-04-30 09:15
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淡路島シリーズ 『淡路廃帝』の淳仁天皇を知る
仕事で各地に出かけ、その地域から日本史の一部が見えてくる。
些細なことでも調べたり、訪ねたりすることが愉しみとなる。
ボケ防止にも役立つ。
またジグソーパズルのように断片的知識がつながるのも面白い。
しかしすぐ忘れる。
記憶するには繰り返し覚えるしかないようだ。
南淡路市に
『淡路廃帝』
と名がつく淳仁天皇の御陵があることを知る。
奈良時代、藤原仲麻呂の乱の後、孝謙上皇に帝位を奪われ、淡路国に幽閉されたところから『淡路廃帝』という。
淳仁天皇に譲位して上皇となった孝謙天皇は弓削道鏡という一人の怪僧を寵愛。
天皇の側近 道鏡により図られる。
これによって上皇派と天皇派による政治的混乱が発生し淳仁天皇は孝謙上皇を諌めようとするが不興をかう。
世に言う道鏡事件です
そしてとうとう西暦764年10月9日に孝謙上皇への謀反の疑いにより淳仁天皇は廃帝となり淡路島に配流される。(ウイッキペディアより転載)
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drss0123noborui
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2012-03-24 10:41
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淡路島シリーズ 津名町に何故か『静御前』の墓石
源義経の側室であった静御前(白拍子⇒遊女)は晩年、一条中納言の計らいで領地であった淡路島の津名町にある志筑の荘に移り住み47歳で生涯を終える。
津名町の静の里公園には静御前の墓と伝えられる墓石があり、帰途立ち寄る。
『吾妻鏡』によれば、源平合戦後、兄の源頼朝と対立した義経が京を落ちて九州へ向かう際に同行するが、義経の船団は嵐に遭難して岸へ戻される。
吉野で義経と別れ京へ戻るが、途中で従者に持ち物を奪われ山中をさまよっていた時に、山僧に捕らえられ京の北条時政に引き渡され、文治2年(1186年)3月に母の磯禅師とともに鎌倉に送られる。
同年4月8日、静は頼朝に鶴岡八幡宮社前で白拍子の舞を命じられた。静は、
「しづやしづ しづのをだまき くり返し 昔を今に なすよしもがな」[1] 「吉野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の 跡ぞ恋しき」と義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させるが、妻の北条政子が「私が御前の立場であっても、あの様に謡うでしょう」と取り成して命を助けた。
『吾妻鏡』では、静の舞の場面を「誠にこれ社壇の壮観、梁塵(りょうじん)ほとんど動くべし、上下みな興感を催す」と絶賛している。
この時、静は義経の子を妊娠していて、頼朝は女子なら助けるが、男子なら殺すと命じる。
閏7月29日、静は男子を産んだ。
安達清常が赤子を受け取ろうとするが、静は泣き叫んで離さなかった。
磯禅師が赤子を取り上げて清恒に渡し、赤子は由比ヶ浜に沈められた。
9月16日、静と磯禅師は京に帰され、その後津名町に移り住む。(ウイッキペディアより転載)
京都時代祭で静御前が登場することを知る。
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drss0123noborui
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2012-03-24 10:01
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読書シリーズ 童門冬二著『小早川隆景』
童門冬二著『小早川隆景』では戦国時代の武将同士の会談で、相手が申し出に不満を残すか、得心しているか相手の顔つきや動作で心を読み取る心理描写が際立つ。
目の奥に何があらわれているかを素早く読み取る。
小早川 隆景(こばやかわ たかかげ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
三本の矢で知られる毛利元就の3男。毛利隆元・吉川元春は同母兄にあたる。
毛利水軍の指揮官としても活躍している。豊臣政権下では豊臣秀吉の信任を受け、通説では文禄年間に五大老の1人に任じられたとされている。実子はなく、木下家定の5男で豊臣秀吉の養子となっていた羽柴秀俊(小早川秀秋)を養子として迎え、家督を譲っている。
秀吉は強大になりつつある毛利本家の養子を迎え入れようと考えていた矢先、小早川隆景よりご養子を迎えたいとの申し出に『すまぬな おぬしの心遣いに心からありがたく思う』という言葉を引き出し、機先を制する。
しかし隆景には秀包という養子がおり、毛利家存続のため相続を放棄するよう促し快く退く。
関ヶ原の戦いで裏切りにより東軍についた小早川秀秋は論功行賞により岡山城を与えられたが二年後、狂死し断絶となるも毛利本家は生き延びる。
お家存続のため、相手の思惑をいち早く察知し、先手を打って生き延びる策は今も変わらない。
歴史小説から己の出処進退を学ぶ。
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drss0123noborui
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2012-03-06 10:42
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読書シリーズ 鈴木輝一郎著『本願寺顕如』
鈴木輝一郎著『本願寺顕如』の顕如は織田信長と対峙した、戦国時代から安土桃山時代の浄土真宗の僧。
浄土真宗の僧であるが戦国大名でもある。
顕如は浄土真宗教団の最盛期を築く。
本願寺は武家の封建関係の外で権力を握っていたことから、延暦寺や堺の町衆などと同様に、永禄11年(1568年)には将軍・足利義昭を奉じて上洛し、義昭を通じて影響力を務めていた織田信長による圧迫を受けるようになり、
顕如は信長と敵対する。
元亀元年(1570年)に本願寺と織田氏は交戦状態に入った(野田城・福島城の戦い)。一連の抗争は石山合戦と呼ばれる。
その後、元亀年間に将軍・義昭と信長は反目し、義昭は甲斐国の武田氏をはじめ越前国の朝倉氏、近江国の浅井氏らに反織田勢力を迎合し、信長包囲網を構築した。本願寺も信長包囲網の一角を担い、顕如は自ら石山本願寺に篭城し、雑賀衆などの友好を結ぶ土豪勢力や地方の門徒組織を動員して信長に対抗した。
しかし、元亀4年(1573年)4月には武田信玄の急死を契機に包囲網は破綻し、このため朝倉・浅井などの同盟勢力は次々と織田氏によって滅ぼされる。本願寺も抗戦継続の困難を悟り朝廷に和平の仲介役を依頼し、天正8年(1580年)に信長が持ち出した和睦の条件を呑み、石山本願寺を去って紀伊国鷺森別院に移った。
晩年本能寺の変後、信長に代わって畿内の実権を握った羽柴秀吉(豊臣秀吉)と和解し、天正13年(1585年)に石山本願寺の寺内町をもとに秀吉が建設した大坂の郊外にある摂津中島(後の天満の町)に転居して、天満本願寺を建立する。
ここはルイス・フロイスいわく「秀吉の宮殿の前方にある孤立した低地」で、さらに「住居に壁をめぐらしたり堀を作る」ことを禁じられるなど、本願寺は豊臣政権の強い影響下に置かれることになった。
一方で、大坂城下町建設に本願寺とその門徒が持つ経済力・技術力を利用する狙いもあった。
天正14年(1586年)、秀吉に九州の役に同行するよう命じられ、下関に滞在した。
天正17年(1589年)に京都聚楽第の壁に書かれた落書の犯人が本願寺寺内町に逃げ込み、更に天満に秀吉から追われていた斯波謙入・細川昭元・尾藤知宣が隠れているという情報を入手したことから3月に石田三成によって寺内成敗(寺内町の取締とこれらの容疑者を匿ったとされた2町の破壊)が行われた。
斯波らは捕らえられなかったものの、容疑者を匿ったとされた天満の町人63名が京都六条河原で磔とされ、顕如は2月29日に秀吉から浪人の逃亡を見過ごしていたことを理由に叱責を蒙り(『言経卿記』)、3月8日には容疑者隠匿に関与した願得寺顕悟に自害を命じるなど、かつての領主権力は完全に失われていった。
さらに天正19年(1591年)に秀吉によって京都の七条堀川の地に寺地を与えられ、京都に本願寺教団を再興した。
文禄元年[1]11月24日(1592年12月27日[2] )、50歳にて示寂。
顕如が没すると、石山本願寺退去時の信長への対応をめぐって顕如と意見の食い違いがあった長男の教如(強硬派)に代わり、三男の
准如
(和睦派)が12世宗主に立てられることになった。
こうして教団内部で対立状況が継続する中、徳川家康による寺地の寄進がなされ、慶長7年(1602年)、
教如
と彼を支持する勢力は独立して東本願寺を建立した。
このため、本願寺は、准如の本願寺(西本願寺)と教如の西本願寺とに分裂することになった。(ウイッキペディアより転載)
浄土真宗は当初、一向宗といわれ武装集団として知られ、一向一揆は浄土真宗本願寺教団によって組織された、僧侶、武士、農民、商工業者などによって形成された武装蜂起のこと。
朝廷、武士以外で武器を持ち領地を守った浄土真宗の武装集団は時の政権に反旗を翻し闘った特異な歴史を持つ。
浄土真宗が時の政権に与せず、DNAを受け継ぎ世直しの先頭に立ち旗幟鮮明にしてもらいたい。
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drss0123noborui
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2012-03-06 08:05
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読書シリーズ 中田宏著『政治家の殺し方』
中田宏著『政治家の殺し方』は人間社会の縮図を見せてくれる。
前横浜市長の中田氏の告白的自叙伝では、政治家がなかに立ち、賛成派、反対派の両方から利益を得るマッチポンプ的役割で銭を稼ぐ輩もいるという。
またマスコミの理不尽な追及を受け、そして事実でないことで訴訟を起こされ、その対応に追われたという。
小泉純一郎氏からアドバイスを受け、まともに相手にしないことだよと言われる。
改革を行うことは改革される側にとって生活権を脅かされ必死の抵抗をしてくる。
中田氏は一定の成果を得たとして任期途中で辞任。
利権と闘う壮絶な政治家の世界を垣間見る。
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drss0123noborui
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2012-03-01 10:13
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福岡県小倉シリーズ 松本清張記念館を訪ねる
小倉城近くに松本清張記念館があり立ち寄る。
松本清張没後20年記念特別企画展『いつもカメラを携えて』を開催している。
松本清張は 芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」が本来は直木賞の候補作だったという経緯が示すように、一つの型に分類することが不可能な大きさを持った文学者という。
作家としては異例の四十二歳からのスタートであったが、新しい物語性と平明さが多くの読者に支持され、『点と線』『眼の壁』などが空前のベストセラーとなった。
主題によって形式を決定し、表現の方法を考える。
そして「内容は時代の反映や思想の照射を受けて変貌を遂げてゆく」という主張は、現役のまま八十二歳で没するまで変わることはなかった。
普遍的なテーマによって人間を描き、歴史・社会の闇に迫ろうと試みた一作家の孤独な営為は、じつに多くの人びとに感銘と勇気を与えつづけたのである。(松本清張記念館ホームページより転載)
松本清張の著書を読んだことがなく、森鴎外に関係するだろう「或る『小倉日記』伝」を読んでみよう。
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drss0123noborui
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2012-02-23 06:35
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福岡県小倉シリーズ 森鴎外の旧居を訪ねる
明治の文豪 森鴎外は小倉に旧陸軍第12師団軍医部長として赴任して1年半過ごした家が復元され公開されている。
森 鷗外は、明治・大正期の小説家、評論家、翻訳家、劇作家、陸軍軍医(軍医総監=中将相当)、官僚(高等官一等)。
位階勲等は従二位・勲一等・功三級・医学博士・文学博士。本名は森 林太郎(もり りんたろう)。
医師とし、官僚として、また文学でも多彩に活躍し名を残し、ドイツでも評価されている人物であることをよく知らなかった。
ベルリンに森鴎外記念館があるという。
小倉に関して『小倉日記』を残している。
文学をあまり読まないが一度『小倉日記』を読んでみよう。
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drss0123noborui
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2012-02-22 05:57
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