2008/8/22 今週は大和市での仕事。
第二次世界大戦で敗戦国となった日本の厚木基地に占領軍のマッカーサー元帥が降り立ったのは厚木市ではなく大和市などで、何故厚木基地と称したのか分らないという。
約507万平方メートルの広大な敷地を有する厚木基地は、大和市の南西部に位置し、本市及び綾瀬市、海老名市の3市にまたがって所在していることをはじめて知る。
1945年8月15日に日本は連合国に対し降伏し、9月2日に東京湾上の戦艦ミズーリ艦上で全権・重光葵(日本政府)、梅津美治郎(大本営)が連合軍代表を相手に降伏文書の調印式を行ない、直ちにアメリカを中心とする連合軍の占領下に入った。
マッカーサーは1945年8月30日に専用機バターン号で神奈川県の厚木海軍飛行場に到着、以後1951年4月11日まで連合国軍最高司令官総司令部(GHQ / SCAP)の総司令官として日本占領に当たった。
1945年9月27日には報道機関に掲載のため昭和天皇と会見写真を撮影した。
この写真ではリラックスしている大男のマッカーサーと、緊張して直立不動の小柄な昭和天皇が写され、当時の国民にショックを与えた。
これに対して内務省が一時的に検閲を行ったことは、GHQの反発を招く事になり、東久邇宮内閣の退陣の理由のひとつともなった。
これを切っ掛けとしてGHQは「新聞と言論の自由に関する新措置」(SCAPIN-66)を指令し、日本政府による検閲を停止させ、自ら行う検閲などを通じて報道を支配下に置いた。(ウイッキペディアより転載)