2008/4/4 年1回 友人夫婦3組と持ち回りで会食をする。誰も止めようと言わないので、もう数年続いている。持ち回りのお宅で心づくしの手料理を愉しめるのもありがたい。
それぞれ分野が異なるので友人達の知識や経験が私にとって新鮮で奥が深く、とても面白い、あっという間に4時間が過ぎ、勉強になった。
特に今回は静岡の歴史と国際政治。
③築山殿(瀬名姫)の出身地を知る
築山殿(つきやまどの)は、徳川家康(松平元康)の正室。本名は瀬名姫(せなひめ)。駿河御前(するがごぜん)とも呼ばれる。今川家一門、瀬名家の分家である関口家の関口義広の娘。母は今川義元の妹で、つまり義元の姪にあたる。また、室町幕府の重鎮・今川貞世の血を引く。出身地は静岡の瀬名、初代静岡県知事は関口隆吉氏は関口家の出身。勝海舟を切りつける事件もある。初代知事邸は料亭であった旧喜久屋。尚、広辞苑の著者 新村出氏は関口氏の長男。
天正7年(1579年)、織田信長の長女で徳川信康に嫁いだ徳姫は後に「信長の十二ヶ条」に記されることとなる、築山殿の信康への自分に関する讒言、築山殿と唐人医師減敬との密通、武田家との内通を信長に訴えたという。
これにより信長が家康に築山殿と信康の処刑を命じたとされる。家康の命令により、野中重政によって、築山殿は8月29日に小藪村で殺害された。信康は9月15日に二俣城で切腹した。墓所は浜松市の西来院。首塚が岡崎市の八柱神社にある。(ウィキペディアより転載)
織田信長の支配下にあるとはいえ、上司に逆らえず、身を守るため妻や子どもを犠牲にする生き抜く強かさに驚く。
徳川家康を類希な武将と褒め称えるが、全ては功罪合い半ばか。