2008/3/16 日本の仏教美術を代表する仏像。百済観音の名で広く親しまれている法隆寺宝蔵殿の国宝 観音菩薩立像は明治になるまでは虚空蔵菩薩として祀られていた。
6世紀に朝鮮半島南西部にあった百済は日本と国交があり、百済は仏教がさかんな国で、仏像や文化が飛鳥時代に日本に渡来したとされる。渡来してきたとは知らなかった。一木造り(楠)の立派な仏像(約高さ2m)である。
663年の白村江(はくそんこう)の戦いでは、日本も3万2000人余りの援護軍を送りましたが唐と新羅の軍に大敗、百済は滅びる。(東洋仏所より転載)