2008/1/17 小生の宗派は浄土真宗であるが、信仰心薄く、このままでいいのかと迷う。宗教とは絶対者に対する信仰であり、浄土真宗では阿弥陀仏の他力本願を信ずることによって往生成仏できるとしている。
宗派は複数あり教義が異なり、浄土真宗でも西本願寺派と東本願寺派に分かれる。信仰により凡夫は救われるというが、信仰により救われていると奥深く思う人は幸せといえる。
満足や幸せを感じないのは信仰心が足りないのだという説明は理解しがたいと思っている間は無理か。逆に何を持ってあなたは信仰心が深いと言えるのか。時には懺悔の祈りの対象として絶対者が存在するというのも理に適うと思われる。
諸外国では宗派の対立で戦争を起こし、とても人を救うどころではないことも現実。この世は相対の世界、絶対はない。絶えず混沌としている。
したがって常に迷う相対の世界に生きる凡夫は拠り所として創造の絶対者に縋るのも心情。
批判することは何もないが、どう転んでも人間社会は方丈記ではないが無常の世界、だからゆえに、その支えは宗教でもよく、物事の認識と徳の追求を求める哲学でもよく、どの手段であろうと他者と競い合うものではなく弧として安心立命を求めてやまないのは小生も同じ。宗教と哲学についてどの程度の相関があるのか知りたい。