2007/5/30 日本では2007/5/31、神聖ローマ帝国の皇帝城として知られるニュルンベルク城があったニュルンベルク市内観光。
ここはヒットラー時代の党大会が何度か行われ、ヒットラーが演説した場所を知る。また第二次世界大戦で敗北したナチスドイツの戦犯(21名)の裁判をした
ニュルンベルク裁判をした所で知られる。尚日本の戦犯の裁判は東京で行われ、
東京裁判という。
ワーグナーのオペラ曲に『ニュルンベルクのマイスタージンガー』がある。このオペラはニュルンベルクに住もうと決めた騎士のヴァルターが金細工師の娘エバァへの恋物語。
又、ニュルンベルクでグーテンベルクが活字印刷に成功したところ、そして16世紀から続くドイツ最大のクリスマスマーケットが開かれるところでもある。このマルクと広場では市場が開かれ、この時期しか食べられないという白アスパラが出ていた。さらにおもちゃの街としても知られている。
昼食はニュルンベルガーソーセージ、細身で焼いてあり、食べやすい。キャベツの酢漬けのザワークラフトをいただく。
交通の要衝であるニュルンベルクは、11世紀に神聖ローマ皇帝ハインリヒ3世が建設した城塞に始まり、1219年にフリードリヒ2世から特許状を得て帝国都市となった。皇帝の居城 ニュルンベルグ城が置かれ、帝国議会が開催されるなど、16世紀中頃まで神聖ローマ帝国の重要都市とされた。
ニュルンベルクは間もなくアウグスブルクとともにイタリアと北ヨーロッパを結ぶ2大貿易都市となる。1298年、内乱時にドイツの騎士 Rindfleisch は ”天から、聖体に対する冒涜の容疑でユダヤ人を絶滅させる使命を受けた” と宣言し、彼の指揮のもと群衆は約10万人のユダヤ人を殺戮し、ニュルンベルクでは698人が殺戮された。
有名なカール4世の金印勅書は1356年にこの街で発布された。
マイスタージンガーのハンス・ザックスや画家アルブレヒト・デューラーの居住した街でもある。デューラーの『四人の聖人』(いわゆる『使徒たち』:アルテ・ピナコテーク所蔵)はこの街の教会のためにこの街で描かれた。バロック期の音楽家ヨハン・パッヘルベルはこの街の出身で、晩年にこの街のゼーバルドゥス教会にオルガン奏者として戻り、そこで没している。
ドイツ最初の鉄道は、1835年12月7日、ニュルンベルクと隣町フュルトの間に開業した。
ナチ党大会が、1933年から1938年にかけて行われた場所であり、その模様はレニ・リーフェンシュタールにより映画化された。1935年の党大会では、ユダヤ人から市民権を剥奪する法(「ドイツ人の血と尊厳の保護のための法律」)が定められ、一般的にはニュルンベルク法と呼ばれている。このようにニュルンベルクは、ナチスドイツを象徴する都市となった。(ウイッキペディアより転載)