2006/10/20 福岡県筑前町立三輪中学校2年の男子生徒(13)のいじめ自殺問題で、同校の合谷智校長や町教委職員らが19日夜、男子生徒宅を訪れ、文部科学省が同日開催した緊急連絡会議の報告書を届けたが、男子生徒の父親(40)は「うわべだけのもの。(いじめを行った)先生についても調査中としかなっておらず、校長先生が認めた(教師によるいじめが自殺につながった)ことも入っていない。不満でいっぱいだ」と怒りをあらわにしたとのニュースを知る。
私も小学校、中学校、高校と大なり、小なりいじめにあった。
いじめやすかったかもしれない。先生からも、個人情報を教室で暴露され、いたたまれない気持になったこともある。しかし支えてくれている家族にはいじめられていることを言えなかった。
では何故、その場、その場をしのいできたかというと、いじめられている習慣がつくと、抵抗力がつき、対処の仕方を自ら会得した。つまり心で、その都度整理し、言葉の返し方を工夫した。お陰で自暴自棄にもならなかった。自殺に追い込まれることは避けられた。
会社に就職し、管理職になってからも上司から継続的に個人攻撃されたことがあったが、長期に悩むことはなく、その内人事異動があり、事態は変化した。学校時代の惨めな経験が、物をみる幅が広がり、会社人時代に我慢するという意味で役立っているような気がする。いいかどうかは分らないが。もちろん、いじめはないほうがよい。
今回の40代後半の担任の先生の発言で『からかいやすかった』と報道されているように、先生が『先生』として成熟しててない先生が多いのではないか。これは個人の問題ではなく、日本人の徳に関する質の低下ではないかと思う。先生とは辞書で引けば『学徳に優れた人』とあるが、徳がない先生が増えているのではないだろうか。教員免許を更新制度として先生の徳のレベルを定期的にみる制度も必要かもしれない。だが評価する側に胆力があって、かつ徳のある先生がいるのかどうか不安だ。
なんだか日本は家庭環境も含め、色々な側面で坂道を転がっているように思える。政府による歯止めをかけるための教育再生措置が求められる。学業も大事だが『どう生きる』かを育むため、小さい頃からデベート力も含め考える力を養う訓練も大事。例えば『いじめ』について賛成、反対で模擬討論する訓練も必要と思うのだが。