2006/9/2 教覚寺の旅行で千葉県君津市にある浄土真宗の光明寺を参拝した折、石上住職の冒頭挨拶でご自身のことには直接触れず、当住職との関係と当住職の業績に触れ、また当壮年会に対し、適切に諭され、かつ温かい励ましの言葉を聞いて、なんと過不足のない挨拶かと感じ入りました。いただいた言葉に対して、同等レベルで返せないと感じるほどありがたく思いました。
石上住職からは『この世とあの世を結ぶことば』という執筆された本をいただき、その中で本願寺の朗読法話集には『人の喜びを、自らの喜びとし、人の悲しみを、自らの悲しみにすることが出来る心を慈悲と呼び、それが仏さまの心である』と示されていますが、人の悲しみを自らの悲しみにすることが出来ない。よくよく煩悩深きわが身と言うべきでしょう。誰を責めるものではない、この私自身姿です。こう言いきる石上住職に頭が下がりました。
生意気ですが僧職たるもの自分を裸にしてこそ、相手の心に響くのではないでしょうか。自分は偉く、上から下へ教え諭す姿勢では、説法に無理が生じると思われます。