第一次世界大戦以前,大国の支配下でいらだつバルカン地方は今にも爆発しそうな状態にあり,独立を求める幾つもの秘密結社が暗躍。
そうした最中,若者たちの小さなグループがオーストリアのフランツ・フェルディナント大公の暗殺を企てる。
大公は,6月28日にボスニアの首都サラエボを訪問。
暗殺者のプリンツィプは,爆弾を投げつけられた大公が無傷のまま車で通り過ぎるのを見て車に近づこうとするが果たせず。
大公は,爆弾を投げつけられたことに腹を立て,行き先を変更。
しかし,変更を知らない運転手が道を間違え,車を方向転換しなければならなくなり、ちょうどその時,プリンツィプがカフェから出て来る。
わずか3㍍先のオープンカーに大公が乗っているのです。
プリンツィプは車に近づいて2発銃撃し,大公夫妻を殺害します。
世間知らずのセルビア人国家主義者プリンツィプは,自分がどんな連鎖反応のスイッチを入れてしまったか,知る由もなかった。
第二次世界大戦では日本の国力は日中戦争により限界状態だったところに、アメリカからの強圧的な経済制裁を受けることになり、日本は輸出入などの経済活動及び”日中戦争”継続に必要な資源、特に石油の輸入が出来なくなり、ここまで戦ってきた戦争を勝利出来ずに止めて撤退するか、さもなくばドイツがヨーロッパ方面で快進撃を続けていることを頼みに、中国を支援するアメリカと”日中戦争”に勝つためにアメリカとの戦争をするか二者択一に追いつめられる。
この究極の選択で日本は”日中戦争”を止められない軍部に押し切られ中国での戦争を続けたままアメリカとの戦争を始める。(ヤフー知恵袋より転載)
また真珠湾攻撃が宣戦布告前だったという。
日本では攻撃の12時間前までに宣戦布告するよう指示していたが、ワシントンにいる外務省職員が前日のパーティーで酔って次の朝、出勤が遅れてしまい、宣戦布告の連絡を上司にするのが遅くなったというのが、実際のところのようです。
一部では、外務省職員のサボタージュ(軍に対するいやがらせ)、アメリカの陰謀説などもあります。
いずれにせよ、ワシントンでの宣戦布告が、真珠湾攻撃の後だったという。
第一次世界大戦も第二次世界大戦も個人の偶然の出来事を発端として大戦へと膨らむ。
朝鮮半島で燻ぶる南北朝鮮の小さなミスジャッジが第三次世界大戦に繋がらないよう願うが分からない。
そういう段階に入り、国際政治家の知恵が試される。
『微笑み外交』に惑わされてはならないというがミーハー的で説得力はない。
体を張って北朝鮮に乗り込む覚悟はない。
田中元首相が中国に乗り込み国交回復を果たし、小泉元首相は北朝鮮に乗り込み拉致者の解放したことが歴史に残る。
長期政権が評価だとすれば情けない、何かを残すとすれば憲法改正の悲願だ。
闇雲に突っ走るしかない。
むしろ国民にとってリスクだ。
トランプ大統領に追従する安倍首相の姿勢では自ら乗り込む度胸はないだろう。
トランプ、プーチン、習近平、金正恩(キム・ジョンウン)等の独裁者が世界を動かしつつあり危険度は増してきたと思う。