数年前のスペイン行の飛行機内でたまたま隣り合わせになった先生と、ビルバオまでかなりの時間、会話を愉しむ。
帰国後交流し、小生が主宰する一芸一能専門家会議で講演(オキシモロン)をしていただく。
オキシモロン(撞着語法【どうちゃくごほう】とは、修辞技法のひとつ。
「賢明な愚者」「 明るい闇」など、通常は互いに矛盾していると考えられる複数の表現を含む表現のことを 指す。
オキシモロンを初めて知る。
講演以外もハーモニカの演奏もしてくださり多彩。
先生の専攻はアメリカ文学。ウィリアム・フォークナー、ナサニエル・ホーソーン、ハーマン・メルヴィル、マーク・トウェインなど。マリアン・ムーア、フレデリック・ゴダード・タッカーマンの詩業を全訳。
2017/11/3、旅行の便りをいただく。
今回は京都国立博物館国宝展、蓬莱橋、杉原千畝記念館を巡る三泊四日の旅。
京都国立博物館国宝展の目玉は雪舟の画で、雪舟の国宝6点がすべて集まる。
蓬萊橋(ほうらいばし)は、静岡県島田市の大井川に架けられた木造橋(歩行者と自転車の専用橋)
全長は897.422 m(巾2.7m)
法律上は農道に分類され、島田市役所農林課の所掌。
橋脚の構造は鉄筋コンクリート製、渡し板はすべて木製の有料橋(100円)で、歩行者や自転車のみ通行できる。
「897.4 mの長い木橋」にかけて「厄なしの長生き橋」ともいわれる。
橋名は、徳川宗家の主で静岡藩知事でもあった徳川家達が、かつての家臣たちの激励のために訪れた時に、牧之原台地を宝の山を意味する「蓬莱山」に例えたことに由来する。
石橋にも関心を持たれ、ウイキペディアで調べてみると長崎奉行所に勤める下級武士、藤原林七が支柱を持たないアーチ式石橋の技術に強く憑かれ、出島のオランダ人と接触し、アーチ式石橋の技術の元となる円周率の計算を学ぶ。
しかし、異国人と接することが禁じられた鎖国の時代、国禁を破った林七は長崎を脱出する事になります。
そして遠く、山深い肥後の種山村まで逃れた林七はそこで石工の宇七と出会う。
やがて林七と宇七の二人はアーチ式石橋の技術を完成させ、地域の石工をまとめて「種山石工」を結成。
アーチ式石橋の技術を発展させた二人の「種山石工」は、江戸時代後期から明治・大正時代にかけて、肥後を中心に多数のアーチ式石橋を架ける。
そして種山石工は鹿児島の甲突川五石橋を架けた「岩永三五郎」や、肥後の通潤橋、東京の万世橋、皇居の二重橋などを手掛けた「橋本勘五郎」などの名工を輩出し、日本の石橋文化の礎となるという。(ウイキペディアより転載)
以前長崎に行ったおり、諫早市にある石橋『眼鏡橋』を見る。
便りのお陰で新たな事を学ぶ。
これ幸いなり。