精神科医 南條幸弘著『家康 その一言』は興味深い。
祖父や父を家臣に殺され、家康自身は6歳で今川家の人質に出されるはずが織田家に売り渡され、8歳の時に人質交換で今川家の人質になる。
1560年、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれた後、今川氏の混乱に乗じて岡崎城へ入城すると今川氏(義元の子・氏真)と決別し、信長と同盟を組んだ(清州同盟)
この際、(義元からの偏諱(一字)を捨てる意味で)名を元康から(松平)家康(いえやす)に改め、信長の盟友(事実上は客将)として、三河国・遠江国に版図を広げていくこととなる。
幼少のころからの波乱万丈が深謀遠慮の心を鍛える。
また織田信長の短気から学び、豊臣秀吉の猜疑心からも学び天下をとる。
著者によれば家康は短気で小心者、戦いの時は貧乏ゆすりや歯ぎしりをしたという。
歳をとっても爪を噛む癖があり神経質だったと解説する。
しかしながら徳川家は家康、秀忠、家光時代の外様大名の取りつぶし、参勤交代の制度で265年の絶対的地位を築く。