鷲津駅に降り立ち駅の観光案内板で本興寺を見つける。
南北朝時代、陣門流の門祖日陣が東海地方を巡化していた時、行基開基を伝える古刹高野山真言宗三河国船形山普門寺の末寺であった遠江国薬師堂の僧が法戦を挑み本興寺開山の僧となる。
そして後にこの地域の法華宗布教の中心となる。
江戸時代は10万石の格式と徳川将軍家の三つ葉葵の使用を許される。
本堂は国指定重要文化財。
本堂は静寂ななかにあり素晴らしい佇まい。
大書院には谷文晁の四季山水の障壁画、襖絵15面があり、奥書院は江戸初期の奥方の住まいを現代に伝えている。
庭園は小堀遠州作庭と伝えられる遠州流の庭園で、歌人北原白秋は「水の音ただに一つぞ聞へける その外は何も申すことなし」と詠んでいる。