加茂花菖蒲園で志戸呂焼の展示会があった。
志戸呂焼(しとろやき)は、静岡県島田市金谷(旧金谷町)で焼かれる陶器。歴史は古く室町時代に遡り、美濃の陶工が焼き始めたのが最初とされ、一帯は古くから良質の陶土産地として知られていた。そのため、江戸初期には瀬戸の絵師が最適な陶土を探究する際、この志戸呂に目を付けたという。天正16年には徳川家康から朱印状が授けられ、特産品として奨励されるなど、着実に成長していった。
中でも志戸呂焼の名が世に轟くようになったのは、時の茶人、小堀遠州が目を付け、遠州七窯の一つに数えられるようになってからである。
その七つの産地は志戸呂焼(遠江:遠州)、膳所焼(近江)、朝日焼(山城)、赤膚焼(大和)、古曽部焼(摂津)、上野焼(豊前)、高取焼(筑前)である。
このうち経済産業省指定伝統的工芸品に指定されているのは上野焼だけである。しかし、これらの産地は遠州七窯というだけで知名度があり、その喧伝は今日にも十分通用するものである。(ウイッキペディアより転載)
志戸呂焼(遠江:遠州)が遠州の地であることから遠州七窯は、すべて遠州の各地の窯元の名前かと思っていたら小堀遠州がお薦めの全国にある窯元であることを知る。小堀 遠州は江戸時代前期の大名で、備中松山藩2代藩主のち近江小室藩初代藩主。茶人、建築家、作庭家としても有名であり遠江守に任じられた事から一般には小堀遠州(こぼり えんしゅう)の名称で知られている。本名は後に小堀 政一という。