2009/12/6
世界遺産のチェスキー・クルムロフ歴史地区は はクルムロフ城を含む優れた建築物と歴史的文化財で知られる。世界で最も美しい町の一つといわれる。行きたいところの一つである。
町と城の建設は、ボヘミアの重要な通商路であるモルダウ川(ヴルタヴァ川)沿いに13世紀後半に始まった。
1302年、チェスキー・クルムロフの町と城は、ボヘミアの有力貴族であったローゼンベルク(ロジェンベルク)家のものとなる。14世紀以降、町では手工業と交易が盛んになった。16世紀、特に領主ウィルヘルム・フォン・ローゼンベルクの時代には、ルネサンス様式の建物が数多く建築され、町は色彩鮮やかな華麗なるルネサンス都市へと変貌を遂げた。
しかし、町の華やかな装いとは裏腹に、ローゼンベルク家の財政は次第に破綻を来たすようになり、ついに借金の抵当に入れられたクルマウ(チェスキー・クルムロフ)は、1601年、神聖ローマ皇帝ルドルフ2世の手に渡る。
その後、1622年、神聖ローマ皇帝フェルディナント2世は、当時、神聖ローマ帝国全土を巻き込んでいた三十年戦争において、財政面を含む貢献のあったエッゲンベルク家にこの町を与えた。この時代に、町にはバロック様式の建築物が加わった。
1719年、エッゲンベルク家は断絶し、有力貴族のシュヴァルツェンベルク家が町と城を相続する。領主ヨーゼフ・アダム・シュヴァルツェンベルクの時代に、城はバロック様式に改築され、
後に有名となる城内劇場(バロック劇場)が完成した。城主が客人をバロック劇場でもてなしたという。(ウイッキペディアより転載)
下の写真はバロック様式の城内劇場。