2009/7/5 桓武天皇は坂上田村麻呂に蝦夷を征伐する征夷大将軍に任命し、岩手県を中心に支配している蝦夷の頭領 アルテイを征伐させた。
政治は天皇親政から藤原氏による摂関政治に移るも、菅原道真が右大臣に出世し藤原時平の陰謀により大宰府に左遷させられる。
菅原道真が大宰府で死後、都では道真を落としいれた時平や、醍醐天皇の息子達が若くして亡くなり、また雷が落ちる災害もあり、これは道真が雷の神様である天神様になったと考え、道真の恨みを鎮める為に北野天満宮を建立する。
全国各地の開墾が進むと、統治するために荘園制が引かれ、武士団が形成され、桓武天皇系の平氏(へいし)と清和天皇系の源氏が台頭、また藤原氏の力を排除するために上皇という院政を敷く。
朝廷は平家が言うことを聞かなったので、平家追討を命じ、源平合戦がはじまり、源氏は平氏を壇ノ浦で滅ぼし、平清盛の三男 平宗盛を捕え処刑し、鎌倉時代がはじまる。