2009/4/29 菊川市船木、加茂そして島田市向島に仕事に出かける。萌黄色のお茶の芽が輝いていた。道中、栄西禅師立像を見る。お茶を日本に伝えた人物という。
わが国の「茶文化の発祥」は、奈良時代の「遣唐使」などによって中国大陸から伝えられたと云われ、平安時代初期ごろまでには、「唐風の喫茶趣味」が、上層貴族階級にひろまった。
嵯峨天皇(809~)は、畿内を中心に茶樹栽培を奨励しており、天台宗・真言宗を伝えた伝教大師(最澄)弘法大師(空海)も、茶との関係が深い高僧であった。
遣唐使が廃止(809)される頃から、「唐文化の模倣」から「国風化」の傾向が強まり「唐風の喫茶趣味」も急速に衰えていく。
わが国の茶の歴史に新紀元を画すのは、平安時代末期から鎌倉時代にかけて、「宋」より禅宗を学んだ僧侶達によって伝えられた茶文化である。建久3年(1 1 9 1 )、二度目の宋留学を終えた「栄西禅師」は、臨済禅とともに「茶の種」と「喫茶法」を持ち帰る。
この「茶の種」による茶栽培は、九州の肥前・筑前に始まり、次第に東進し全国的に展開されていく。京都では「明恵上人」を経て、宇治の荘園(近衛家)に伝えられ「宇治茶」の起源となった。(島田市観光協会より転載)
茶の歴史の概要を初めて知る。いくつになっても知らないことが多くがっかりするが当たり前か。栄西禅師の関係する話として建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として建仁寺を建立したという。そういえば最近京都の祇園近くの建仁寺に行ったことがあるが栄西禅師が建仁寺の開山とは知らなかった。